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豆知識 室町時代まで狸は狂暴な獣?
現在の狸のイメージは、大きなたいこばらに大金袋をぶらさげて、徳利を持ってふらふら歩く信楽焼の置物そのものだと思います。これだと狸親父と言われても、ずるがしこい油断ならない人だけど、どこか憎めない小悪党みたいな風にも受け取れます。
しかし、現在のマヌケな愛らしい狸のイメージは江戸時代になってから出来たもので、鎌倉から室町時代の狸は人を殺してしまう事もある狂暴な獣でした。
例えば、かちかち山の狸は、老夫婦の畑を荒らして作物をダメにし、わなに掛かって縛られても、改心したから許してくれと媼をだまして縄を解かせ、そのまま老婆を杵で殴って殺し、その肉を作っている最中の狸汁の中に投げ込んでから媼に化け、帰って来た翁に食わせるという極悪非道な存在です。
もし、狸が室町時代までの凶悪なイメージのまま現在まで伝わっていれば、徳川家康=狸という印象には多分ならないで終ったと思います。
家康は狡猾な人物ですが、同時に気が小さく、自己保身の為に弱体化した豊臣家を滅ぼそうと決意する臆病な面があり、そのような英雄らしからぬ人間くささが、セコイ一面を持つ狸親父のあだ名にマッチしたとも言えるのです。
日本史ライターkawausoの独り言
もっとも、徳川家康が狸親父と呼ばれたのは彼が生きた戦国の事ではありません。もちろん家康が建国者として絶対の存在になった江戸時代でもなく、徳川幕府が崩壊してから後の事です。
後世の人は家康の立身出世の苦労など詳しくは知らず、主に芝居や演劇では最強の悪役になる家康に、成功者へのやっかみを込めて狸親父と呼んだのです。
家康の為に弁護すれば、苛烈な振る舞いや残忍な行動は信長や秀吉にもあり、家康だけの専売特許ではありません。しかし、最後まで残った勝者だけに全ての悪行が目立つという事には、なっていると言えます。
家康から見れば、「みんな何も知らないで勝手な事を言いよる」と雲の上で苦笑いしているかも知れませんね。
参考:Wikipedia
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