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この記事の目次
「丞」「相」
丞相の「丞」という文字には助ける、補佐するという意味があります。つまり丞相とは、「相」を補佐する……相国を補佐するという意味になるのです。相国が首相とするなら、丞相とは本来副首相となります。
さあ難しくなってまいりました。しかし諦めずにもう一歩踏み込んでいきましょう。
相国と丞相
本来、相国と丞相はセットととも言って良い役職でした。因みに董卓も相国の役職についています。しかしこの折には既に丞相の役職名は司徒に改称され、後に曹操が「丞相を復活させた」と言うように、司徒としての役割は丞相ほど強くなかった……というよりも、曹操が丞相という役職を復活させた際に権力を高めた、というべきでしょう。
実際に丞相という役職が復活した際には相国はほぼ使われなくなったこともあり、現代で「丞相ってなに?」となると「(曹操が復活させた後では)内閣総理大臣みたいなの」という説明がされてきたものと思われます。
要するに漢時代以前の丞相と、曹操が復活させた丞相では握れる権力が大きく違っているので、このようにややこしくなったのではないか、と筆者は思いました。時代によって役職名が変わるだけでなく、その役目における権力もまた変化したために起こってしまった齟齬、と言うべきでしょうか。
例え話の難しさではありますが、できるだけ身近に三国志を感じて頂くためにも、今後もできるだけ詳しく、そして分かりやすく……精進を重ねていきたいと思います。
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魏の丞相
ややこしくなってきたので最後に軽い小話を。魏の丞相と言えば曹操であり、生前に司馬懿はこの役目を固辞しています。これは魏の丞相である曹操は、実際には補佐だけではなく、ほぼ実権を握っていました。
曹操自身は丞相ではあったものの、後にその息子である曹丕が皇帝簒奪(実際には禅譲)したこともあり、諡号として武皇帝を追贈されています。
要するに「魏の丞相」というと「皇帝簒奪」のイメージがついちゃっている訳です。
という訳で、司馬懿は「自分は皇帝簒奪の意思はないです!(息子は知りません)」という意味で、丞相の地位を固辞したのですね。
まあ曹操も皇帝を追贈されたように、司馬懿も死後に丞相を追贈されるのですが……それは本人の意思とは関係なかったから、ということでこの難しかったお話は終わりましょうか。
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三国志ライター センのひとりごと
今回は三国志に良く出てくる役職名、丞相について。そして丞相という立場、権力が時代によって変化したため、現代で例えるとややこしくなってしまった件について筆者なりに解説、そしてお話してみました。
中々(かなり)ややこしいのですが、上手く伝えられたでしょうか……まだまだ筆者も勉強するべきことが多そうです。しかしこれに懲りることなく、三国志の用語について今後も解決していきたいと思いますので、どうぞレベルアップの日をお待ちくださいませ!
参考文献:三国職官表 / 丞相(wikipedia)
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