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お城はいつも清潔に!ピカピカだった戦国の城


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清潔だった城(1P目)

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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排泄物の重さは?

 

では、城から出る排泄物の重さは、どの程度になったのでしょうか?

 

調べて見ると、人間は1日に糞尿あわせて、1.7キロの排泄物を出すそうです。普段、城内にどの程度の兵士がいたかは城の規模にもよるのでしょうが、立花道雪(たちばなどうせつ)の居城の立花山城(たちばなやまじょう)には、城の備品として50本の槍や、大鉄砲15(ちょう)、30領の鎧兜があったそうなので、大きく見て100名くらいは兵士がいたと考えてもおかしくないでしょう。

 

それなら、1日の排泄物は170キログラムになり、これに馬のような大型の家畜が加わると、200キロ以上にはなりそうです。毎日の糞尿処理は重労働だったであろうことが推測されます。それなら、なるべく近場に捨てて帰ろうとするのが人情なので、それを見透かしての矢が落ちた位置よりも遠くという掟なんでしょうね。

 

掃除と同時にメンテナンス

 

戦国時代の城主が、これだけ掃除にこだわったのには、清潔以外にも理由があります。それは、城兵が掃除の途中で塀の破損や、石垣の崩れ、柱の傷みなどに、知らず知らずのうちに敏感になる事を期待しての事でした。

 

隅々まで掃除をする事で、普段は目が届かない所まで、目が行き届き自然に城のメンテナンスに繋がるというのが、掃除の究極の目的だったようです。

 

確かに掃除もしないで放置しておけば、隅々まで目が行き届く事もなく、城の老朽化に気づくのが遅れるかも知れませんからね。戦国時代の人々は、とても合理的な発想で城をキレイに保っていたようですね。

 

戦国時代ライターkawausoの独り言

朝まで三国志2017-77 kawauso

 

kawausoは、城を掃除する事には、もう1つメリットがあったと思います。それは、城を掃除する事で城に対する愛着が生まれ、より城を大事にする感覚が身につくというメリットです。

 

人間は使い捨ての道具はぞんざいに扱いますが、何度も使いまわせる道具に関しては、愛着を感じて、名前を付けたりして大事にする傾向があります。城についても同じ事だったのではないかとkawausoは考えています。

 

参考文献:戦国の城の一生 つくる・壊す・蘇る 吉川弘文館

 

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武田信玄

 

 

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kawauso

台湾より南、フィリピンよりは北の南の島出身、「はじめての三国志」の創業メンバーで古すぎる株。もう、葉っぱがボロボロなので抜く事は困難。本当は三国志より幕末が好きというのは公然のヒミツ。三国志は正史から入ったので、実は演義を書く方がずっと神経を使う天邪鬼。

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