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この記事の目次
排泄物の重さは?
では、城から出る排泄物の重さは、どの程度になったのでしょうか?
調べて見ると、人間は1日に糞尿あわせて、1.7キロの排泄物を出すそうです。普段、城内にどの程度の兵士がいたかは城の規模にもよるのでしょうが、立花道雪の居城の立花山城には、城の備品として50本の槍や、大鉄砲15挺、30領の鎧兜があったそうなので、大きく見て100名くらいは兵士がいたと考えてもおかしくないでしょう。
それなら、1日の排泄物は170キログラムになり、これに馬のような大型の家畜が加わると、200キロ以上にはなりそうです。毎日の糞尿処理は重労働だったであろうことが推測されます。それなら、なるべく近場に捨てて帰ろうとするのが人情なので、それを見透かしての矢が落ちた位置よりも遠くという掟なんでしょうね。
掃除と同時にメンテナンス
戦国時代の城主が、これだけ掃除にこだわったのには、清潔以外にも理由があります。それは、城兵が掃除の途中で塀の破損や、石垣の崩れ、柱の傷みなどに、知らず知らずのうちに敏感になる事を期待しての事でした。
隅々まで掃除をする事で、普段は目が届かない所まで、目が行き届き自然に城のメンテナンスに繋がるというのが、掃除の究極の目的だったようです。
確かに掃除もしないで放置しておけば、隅々まで目が行き届く事もなく、城の老朽化に気づくのが遅れるかも知れませんからね。戦国時代の人々は、とても合理的な発想で城をキレイに保っていたようですね。
戦国時代ライターkawausoの独り言
kawausoは、城を掃除する事には、もう1つメリットがあったと思います。それは、城を掃除する事で城に対する愛着が生まれ、より城を大事にする感覚が身につくというメリットです。
人間は使い捨ての道具はぞんざいに扱いますが、何度も使いまわせる道具に関しては、愛着を感じて、名前を付けたりして大事にする傾向があります。城についても同じ事だったのではないかとkawausoは考えています。
参考文献:戦国の城の一生 つくる・壊す・蘇る 吉川弘文館
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