ヨーロッパ風ファンタジーRPGで欠かせない存在と言えば、まずドラゴンのようなモンスター、そして主人公サイドとしての騎士でしょう。漫画やゲームや映画では、育ちがよくやや世間知らずながら騎士道精神を持ち、仲間の為には命も投げ出すカッコイイ存在として騎士は人気があります。
でも、歴史上の騎士っていつ誕生したのでしょうか?それはファンタジーRPGの騎士とどこが同じでどこが違うのでしょうか?
この記事の目次
騎士誕生までをザックリ
ヨーロッパで騎兵が誕生するまでをザックリ説明すると
1 | 5世紀、異民族騎兵に対処し歩兵中心のゲルマン族で騎兵を組織したのがルーツ |
2 | ゲルマンの一派フランク族のカール大帝が重装騎兵として騎士を組織化 |
3 | カロリング朝没落、大地主の次男・三男が騎士として近隣と私闘を開始 |
4 | 教会が私闘を仲裁、罪を赦しキリスト教の騎士として取り込む |
5 | 十字軍の戦いにキリストの騎士として騎士が大勢参加 |
6 | 11世紀、封建制確立。騎士は領主・城主より土地を与えられ軍役をこなす |
以上のようになります。以後はより詳しい解説になります。
ゲルマン騎兵が騎士のルーツ
騎士とは、文字の意味だけで見れば馬に乗った士です。単純にそれだけなら、ヨーロッパに限らず、世界中で馬を戦争に使う民族の全てに騎士は、存在しました。
古代ローマでは、騎士身分をエクイテスと言い裕福な貴族や市民が自前で馬と鎧を用意して戦争に参加していました。しかし、古代ローマの戦争の主力は重装歩兵であり、騎士は補助的な役割に留まり、戦場の花形としての騎士のイメージとは遠いものでした。
一方、ローマ帝国の衰退後に欧州に展開したゲルマン諸部族は、元々、ローマ同様に歩兵を中心とした部隊編成でしたが、スキタイ人、サルマタイ人、フン族などのライバルに騎兵が多かった事から、次第に騎兵を編成するようになります。
ゲルマン騎兵は、ローマ騎士と比較して特に偉いわけではありませんでしたが、彼らには、後の騎士に通じる特徴を持っていました。それは、彼らが大地主である首長と主従関係を結び、戦闘の義務を負う代わりに土地を分け与えられていたという事です。
そして、ゲルマン騎兵は馬を崇拝し馬が死ぬと王族の墓に埋葬したり、武器の中でも取り分け剣に神聖性を見出し大事にしました。これらの点から、ヨーロッパ騎士の直接のルーツはローマ騎兵ではなくゲルマン騎兵であると言われています。
騎兵を戦場の主役にしたカール大帝
騎兵を騎士の地位に押し上げ、戦場の主力にした人物はゲルマン民族の一派であるフランク族を率いた9世紀のカール大帝でした。カール大帝は、メルヴィング王朝崩壊後の西ヨーロッパで、ドイツ、フランス、イタリアにまたがる広大な領地を統一したカロリング朝の創始者です。
カロリング朝の敵は、騎兵を主体とするサラセン人、アヴァール人、ノルマン人が主であり、フランク族でも騎兵の編成が急務となります。
そこでカール大帝は、支配地域の貴族や大土地所有者に勅令を出し、馬と従者と鉄兜、鎧、盾、兵器を用意させて従軍を義務付け、組織化して常備軍としました。
こうして誕生したカロリング朝の重装騎兵は強力な戦力となり歩兵の戦力を圧倒。その突進力で外敵を打ち破り西ヨーロッパ統一の原動力になります。
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カロリング朝が衰えフェーデが吹き荒れる
ところが、カール大帝の死後、カロリング朝は分裂していき、西ヨーロッパは再び群雄割拠状態に陥ります。中央政府が消滅した事で裁判所のような調停機関は消滅し、力づくで問題を解決するフェーデ(私闘)の風潮が西ヨーロッパを席巻したのです。
このフェーデで大活躍したのが、やはり騎士でした。カロリング朝崩壊後の社会では、大土地所有者は土地から収益を上げると同時に戦争で敵の重要人物を捕らえて、身代金を取るような事をしていました。
多額の身代金は旨味があるビジネスであり、特に土地を相続できない次男・三男は騎士として、戦争に従事し敵を捕虜に取るのが唯一の仕事になったのです。
さらに当時の西ヨーロッパでは、流血には流血で報復する事が一族の名誉を守り、誇りを維持する事だと考える風潮もあり、一度戦争が起きると、報復の連鎖が止めどなく拡大していきました。
フェーデ時代の騎士は、外見こそ騎士ですが、教養もなければ弱い者を暴力から守る矜持もなく、一族の意地と名誉を振りかざし、敵地の村を襲って住民を虐殺したり、火をつけたり金品を奪ったり、時には教会・修道会に押しみ財産を奪うという野蛮人でした。
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