私達は、物珍しい事やモノについては、撮影したり記録に残したりします。でも、反対に当たり前の事というのは、記録したりしません。それは、戦国時代の人でも同じであり、当時の人が疑問にも思わない事は改めて記録したりはしませんでした。
しかし、日本の常識は世界の非常識、日本への布教に意欲を見せるイエズス会は、戦国日本について多くの情報を必要としていました。その情報には当時の庶民には当たり前の幕府や天皇の事も含まれていたのです。
この記事の目次
日本人アンジローが語る天皇と幕府
当時のカトリックは、プロテスタントに押された勢力を回復しようと、アジアに布教の場所を求めていました。薩摩・大隅の人として知られるアンジロー(またはヤジロウ)は、豪族禰屋氏庶流池端氏の出自ともされますが、詳細は不明です。
彼自身やザビエルの書簡では、アンジローは国内で殺人の罪を犯し、たまたま薩摩を訪れていたポルトガル船に乗りマラッカまで行き、そこでザビエルの知遇を得、インドのゴアで記録に残る限り、日本人ではじめてキリスト教徒として洗礼を受けました。
その後、ゴアの聖パウロ学院で神学を学んだアンジローは、神秘の国、日本の情報を持つ者として、ザビエルの命令を受けた学院長のランチロットにより、日本についての持てる知識を全て教えるように求められます。
これは、イエズス会にとっては、日本がキリスト教を受け入れる土壌があるか否か?
さらに、キリスト教の教えを広めるには、どのような手段が効果的かを探る為でした。
しかし、21世紀の日本人である私達にとっては、アンジローの言葉は、戦国時代の日本人が、日本をどのように見ていたかを知らせてくれる貴重な記録になったのです。
天皇と幕府の違いを語るアンジロー
ランチロットに対してアンジローが返答した内容は、第1日本報告、第2日本報告に分けられますが、今回は第1日本報告について解説しましょう。日本の支配者は誰か?というランチロットの問いに、アンジローは以下のように答えたそうです。
アンジローが語るには、最高の国王(レイ)は、 その国の言葉で王(ウオー)と呼ばれています。そして、この地位は彼らの中では最高の階級です。 この階級の者達は、他の階級のものたちと結婚しません。そして、この王は彼らの間では、 我らでいう所の教皇の如き存在であると思われます。
彼は世俗の者に対するのと同様に、 この地に多数いる聖職者に対しても権限を持っています。彼は、あらゆることがらに対して、絶対的な権能を所有していますが 誰かを裁く事を命じる事は決してしません。
ここまででアンジローが語っているのは、戦国の天皇が「君臨すれども統治せず」の状態だったという事です。最高権力者の王(ウオー)である天皇ですが、その配下を裁く事は決してないとアンジローは答えました。これは、建武の新政以来、天皇が幕府に抑え込まれ、実質的権力を移譲せざるを得なくなった事を端的に説明しています。
幕府について語るアンジロー
天皇である王が権力をふるわないのであれば、戦国日本において誰が権力をふるい、人を裁いているのか?
ランチロットの質問についてアンジローは、天皇権力の代行装置である幕府の存在について語ります。しかし、彼(王)は私達の間の皇帝同様に、彼らのなかの他の者に全責任を委ねているとアンジローは言っています。
その者は「御所」と呼ばれています。彼は日本全体についての命令権と支配権を所持していますが、 御所は前述の王に服従しています。そして御所が王を尋ねて行くときには床にひざをつけると アンジローは申しています。
また彼は諸領主、部将、及び士卒からなる大きな政庁を持ち 裁判や戦争の任務を帯びてはいるけれども、もしも御所が 何か悪い事件を企てようとするならば、王は彼から国を奪い取る事が出来るしまた、それが価値ある事であるならば、彼の首を斬る事も出来ると アンジローは申しています。
アンジローは幕府は天皇よりも強い勢力を持っているけれど、だからと言って天皇が完全な操り人形になったわけではなく、幕府は王を尋ねる時には、床にひざをついて服属すると解説しています。本来は、畳の上に額をすりつけるようにして服属するのですが、欧州人に畳は通じないので、西洋流に床にひざをつけると言い換えたのだと思います。
そして、幕府は大きな権力と行政庁を持ち、司法や戦争の権限を持つものの、悪事を働けば、天皇は位を奪い取る事が出来、場合によっては首を斬る事も出来ると答えています。
直接に天皇が幕府を罰したり、将軍の首を斬るケースは歴史では見られませんが、鎌倉幕府を倒した足利尊氏のように天皇の後ろ盾で、幕府追討の命令を受ける事はあり、アンジローはその事を言っていると考えられますね。
権力と権威の分離を説明するアンジロー
第1日本報告で驚くのは、戦国時代に九州の南端で生きたアンジローが近畿の王と呼ばれた天皇や御所と呼ばれた室町幕府の力関係について、よく把握しているという事です。
王は絶対の権能を有しながら誰も罰しない、つまり裁判権を行使せずに、それを欧州で言う皇帝のような存在である御所に委ねているというのも、権力と権威が分離しているという日本の特殊な事情をよく言い表しています。
そして、諸領主、部将、及び士卒からなる大きな政庁を持ち 裁判や戦争の任務を帯びた絶対権力者である御所も、王の前では床にひざをつけねばならないとして、御所に対する王の優越を解説しているのです。
【次のページに続きます】