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戦国時代の庶民は天皇や幕府についてどう考えていたの?


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戦国時代の庶民(1P目)

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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知的水準が高いアンジロー(ヤジロウ)

兵士(庶民・村人)

 

ここまで読んでも、戦国時代の薩摩・大隅に生まれたアンジローが、21世紀の私達が見ても、天皇と幕府の関係、権力の分離について、細かく理解している事に驚きます。事実、アンジローは大変聡明な人物で、だからこそザビエルは神学を学ばせて、日本に布教する際の通訳にしたいと考えたのでしょう。

 

アンジローの第1日本報告、第2日本報告を見たインド総督、ガルシア・デ・サァは、日本では布教が可能であると判断し、ザビエルの布教活動に支援を約束しました。

 

もし、アンジローが、もっとトンチンカンな人だったら、ザビエルがどう思おうとインド総督は布教を支援せず、イエズス会の日本布教は、もっと遅れていたかも知れません。

 

戦国時代ライターkawausoの独り言

朝まで三国志2017-77 kawauso

 

アンジローはザビエルの通訳として1549年の8月15日に薩摩に上陸し、カトリックは日本布教の第一歩を記します。

 

ところが、その後のアンジローの消息はぷっつりと途絶え、キリスト教を棄てて海賊業に戻り、中国近辺で殺害されたとも、仏僧の迫害に耐えかねて日本を離れ、洋上で海賊に殺害されたとも、薩摩に潜伏し続け、クロ教という隠れキリシタンの宗教を起こしたとも言われているそうです。

 

参考文献:イエズス会が見た日本国 天皇・将軍・信長・秀吉 吉川弘文館

 

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武田信玄

 

 

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kawauso

台湾より南、フィリピンよりは北の南の島出身、「はじめての三国志」の創業メンバーで古すぎる株。もう、葉っぱがボロボロなので抜く事は困難。本当は三国志より幕末が好きというのは公然のヒミツ。三国志は正史から入ったので、実は演義を書く方がずっと神経を使う天邪鬼。

-戦国時代 (日本)