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この記事の目次
知的水準が高いアンジロー(ヤジロウ)
ここまで読んでも、戦国時代の薩摩・大隅に生まれたアンジローが、21世紀の私達が見ても、天皇と幕府の関係、権力の分離について、細かく理解している事に驚きます。事実、アンジローは大変聡明な人物で、だからこそザビエルは神学を学ばせて、日本に布教する際の通訳にしたいと考えたのでしょう。
アンジローの第1日本報告、第2日本報告を見たインド総督、ガルシア・デ・サァは、日本では布教が可能であると判断し、ザビエルの布教活動に支援を約束しました。
もし、アンジローが、もっとトンチンカンな人だったら、ザビエルがどう思おうとインド総督は布教を支援せず、イエズス会の日本布教は、もっと遅れていたかも知れません。
戦国時代ライターkawausoの独り言
アンジローはザビエルの通訳として1549年の8月15日に薩摩に上陸し、カトリックは日本布教の第一歩を記します。
ところが、その後のアンジローの消息はぷっつりと途絶え、キリスト教を棄てて海賊業に戻り、中国近辺で殺害されたとも、仏僧の迫害に耐えかねて日本を離れ、洋上で海賊に殺害されたとも、薩摩に潜伏し続け、クロ教という隠れキリシタンの宗教を起こしたとも言われているそうです。
参考文献:イエズス会が見た日本国王 天皇・将軍・信長・秀吉 吉川弘文館
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