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この記事の目次
孫綝との抗争に敗れ滅ぼされる
孫峻が死去して従弟の孫綝が侍中・武衛将軍になり権力を掌握すると、雲行きが怪しくなります。呂拠は、この人事に不満を持ち、諸将と連名で滕胤を丞相とするように上奏しました。
孫綝は呂拠の動きを察知し、呂拠を牽制して従兄の孫憲に攻撃させ、滕胤には侍中・左将軍である華融と中書丞の丁晏を派遣呂拠を捕縛して武昌に赴く事を伝えます。
滕胤は自分もやがて攻め殺されると考え、華融と中書丞の丁晏を軟禁し、兵士を集めて孫綝を討つために、偽の詔を書かせようとします。
孫綝は将軍の劉丞に命令し、滕胤を攻撃、滕胤は華融達が偽の詔を書かないので殺害しました。やぶれかぶれになった滕胤は、ひたすら呂拠が援軍に来る事を信じ平素と変わりなく人と談笑して過ごしますが、呂拠が援軍に来る前に城が陥落し、一族は皆殺しにされて滅亡しました。
諸葛融に似た人柄がいいだけの人
滕胤は家柄がよく血筋がよい「だけ」の名門セレブであったようです。最期の最期で、孫綝ではなく呂拠を信じて反旗を翻しますが、采配は精彩を欠き、偽の詔を出させて兵を集めようとするなど、現実味がない対応が目立ちます。
策が敗れると、無様な姿だけは見せまいと平静に振る舞い、頼みは呂拠の援軍のみというのも寂しい話ですし、生き残る為の嗅覚と行動力の無さは、諸葛融に似た点があります。
孫権存命の時代なら、公主を妻にしている威光で何とかなったのでしょうが、王族同士が割れている乱世では滕胤が生き残れるのは難しかったでしょう。半世紀の治世が過ぎ去り、孫呉においては、ただ家柄だけで生き残れる時代は過去の事になってしまっていました。
三国志ライターkawausoの独り言
滕胤は、孫権の娘を妻とした後に妻と死別し、次には、孫奐の娘を娶っています。これは、孫峻や孫綝に連なる孫堅の弟、孫静の血筋でしたし、孫奐のもう1人の娘は、呂拠に嫁いでいました。
滕胤が滅ぼされた時、滕胤の妻だけは、兄の孫壱に救出され後に魏に亡命したようです。呂拠と孫綝にそれぞれ繋がっていた滕胤、最期の最期で切るカードを間違えてしまいましたね。
参考文献:正史三国志
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