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この記事の目次
司馬懿と曹操の会話
こちらは晋書にて見られる、曹操と司馬懿の会話から。それは司馬懿が漢中を手に入れた曹操に対しての言葉「漢中を手に入れたのですから、更に蜀も」と進言したことに始まります。
さて曹操はどうしたか?
彼は漢中の守りを夏侯淵、張コウらに任せて帰りました。
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曹操のスタンス「隴を得て蜀を望む」
この司馬懿の進言に曹操は「人は満足を知らぬものだ。隴を手に入れたのに更に蜀まで望むのか」と言い、この司馬懿の進言を取り上げることはなかったのです。
司馬懿の進言にも一理あると思います、勢いに乗るというのは大事です。しかし曹操はこの司馬懿の発言を嗜め、蜀まではその手を伸ばしませんでした。ここから、曹操と光武帝のスタンスの違いが分かります。
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光武帝と曹操の「隴を得て蜀を望む」
光武帝は隴を得た時に、蜀までも手を伸ばしました。曹操は漢中を手に入れた際に、蜀までも手を伸ばすことを止めました。これはどちらが正しい、正しくないということではありません。光武帝と曹操のスタンス、考え方の違いです。
個人的にやたら悪役のように描かれる曹操がここで欲を嗜め、自重し、向かうところ敵なしのヒーローのような光武帝がいけいけどんどんと進んでいく、というのが面白いですね。
光武帝と曹操とは生まれた時代も境遇も違いますが、こういった考え方の違いが見えてくるのは面白いと思います。故事成語にはこんな面白さもある、ということでご紹介させて頂きました。
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三国志ライター センのひとりごと
おそらくですが、曹操は光武帝の事を知っていて敢えてこういったのではないかと思います。故事成語はこのように、過去の出来事にならうこともあれば、過去の出来事とはまた違うことをするためにも使用されています。
しかし曹操みたいにサラリと故事成語を使用して見たいと思うのですが、中々に難しい。知識をひけらかすのは良くありませんが、それでもピンポイントでカッコ良く使ってみたいですね!
参考文献:後漢書岑彭伝 晋書宣帝紀
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