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どこか劉備と劉邦が似ている?
因みに劉備少年の呟きを聞いた叔父さんは慌ててその口を塞ぎ「そんなこと言ったらうちの一族皆殺しになるぞ!」と叱ったと言います。
確かにかなり不敬ですね。しかしこの劉備の呟き、劉邦の呟きとどこか似ていると思いませんか?
もしかして劉備は幼い頃から劉邦の行動を模したように行動していたのでしょうか。それだとするとかなり物知りで利発な子供だったと言えるでしょう。
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陳寿先生の評
とは言えこれは劉備が「昔こういうこといってたんだよぉ」なんて語った訳でなく(たぶん)、あくまで記録したのは陳寿先生です。また陳寿先生は「劉備は人の話を良く聞いた。人を良く見ていた。それらは前漢の高祖(劉邦)と同じ」と評しています。
つまり三国志演義だけでなく、三国志の記録でも劉備≒劉邦というイメージがあったということだと思うのです。劉備が生前から意図的に似せていたのか、それとも陳寿先生の手心によってイメージを寄せられたのかは難しい所ではありますが、それでも三国時代にまで、そしてその後にまで影響のある前漢、高祖劉邦。彼もまた、記憶に強く残り続ける英雄だったのでしょうね。
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三国志ライター センのひとりごと
三国時代は後漢末期から始まり、後漢が滅んでからが「三国」の時代です。物語にすると殆ど後漢は崩壊しており、漢という時代はここだけを見ればあまり強いイメージはないかもしれません。
しかし子細を見ていくと、確かにその時代があったことを感じさせてくれます。更に劉備亡きあとでは劉エンが劉備の子孫を名乗って晋時代に楔を打ち込みますが、ここにおいてもその「漢」が根付いていることが分かります。
そういう歴史の流れ……本当に読めば読むほど沼にハマり込んでしまいますね、とぷり。
参考文献:蜀書先主伝 史記高祖本紀
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