劉備と劉邦の繋がりは、実際にはどうであったのかは分かりません。「劉」の字の繋がりとご先祖様の子供孫が多すぎて細かい所が分からないから……まあ、たぶん同族なのではないかな……?というお話ですね。
しかし三国志を見ているとやたら劉備と劉邦が同一視されているというか、劉邦を模倣したかのような記述が良く見られます。今回はこの点から見ていきたいと思います。
この記事の目次
劉備さん、赤ちゃんを投げたら危ないですよ
さて時代は長坂の戦いまでトラベリングしましょう。この戦いの中で劉備は妻子とはぐれてしまいますが、それを救い出したのが趙雲です。
ここは正史では「はぐれたけど趙雲が保護したんやで」くらいの簡単な記述ですが、三国志演義ではここで趙雲の活躍がクローズアップされており、趙雲が劉備の元に幼い劉禅を届けると劉備はその子供を投げて「我が子のために大事な部下を失うとこだった」と述べています。
まあこの行動については当時の色々な価値観がありますので、この行動の正否についてはここでは述べないでおきましょう。
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めっちゃ子供を捨てる劉邦
劉備のこのエピソード、劉邦の行動が元ネタではないかと言われています。劉邦もまた逃亡時に馬車を軽くしようと、二人の子供を何度も馬車から捨てています。
その度に御者が拾うのでまた捨てるの繰り返し……という「拾うための時間でタイムロスでは?」と思える行動ですが、これは「子供よりも御者やってる部下の方が大事なの!」というアピールとも言われており、ここから三国志演義の劉備のシーンが生まれたとも言われています。
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始皇帝の行列
では今度は史記に記述されているある一説を見てみましょう。それはとある日のこと、秦の時代です。この時に秦の始皇帝が行列で通っていました。
それを見ていたのが後に有名すぎるほど有名になる項羽、そして劉邦。始皇帝の地位、力を見せつけるかのようなその行列を見た二人はあることを呟きます。
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二人の呟き
その行列を見た項羽は
「いずれあいつに取って代わってやる!」と言いました。
対して劉邦は
「男たるものああならないといけないなぁ」と述べたと言われています。
これは二人の性格の違いを良く表したと言われており、有名ですね。項羽は野心に溢れ、劉邦にはどこかおおらかさが感じられる言葉です。個人的には項羽は野心を出し過ぎ、劉邦は周囲の反感をかわないように上手く隠しているのでは?
なんてイメージも沸いてくる一説ですが……それはひとまず置いといて。
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劉備の呟き
これは蜀書に記載されている、劉備のとある呟きです。と言っても時代が違いすぎるので、始皇帝の行列を見て呟いた訳ではありませんが。
それはある日のことでした。幼い劉備少年の家の前に、桑の木が生えていました。それを見て劉備少年は
「大きくなったら天子様の乗っている馬車に乗るぞ!」と言いました。
天子、皇帝の馬車には桑の木が使われているので、桑の木からそれを連想した……ということですね。
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