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この記事の目次
命懸けの仕事 諫議大夫
諫議大夫とは、君主の行動に過ちがあった時に見逃さずに厳しくアドバイスする役割です。
今でさえ、上役に厳しく意見を言うのは簡単な事ではありませんが、1300年前の皇帝は、家臣の生殺与奪の権限を握る文字通りの万能の独裁者でした。もし諫言しすぎて皇帝の機嫌を損ねれば、良くて左遷、悪ければ一族皆殺しもあり得ます。だからと言って、何も言わなければ職務を果たしていないとして処罰されるのが諫議大夫です。
貞観政要のイメージで内省的な哲人皇帝に見える太宗ですが、本当は血の気の多い直情径行の人物で、ささいな事で怒りを爆発させ家臣に怒鳴り散らす癇癪持ちでした。
しかし魏徴は太宗の期待に応え、真正面から諫言する事、実に二百回にも及んだそうです。魏徴のお陰で太宗は己の心をコントロールし名君となったと言えるでしょう。
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太宗に深く信頼され63年の生涯を閉じる
魏徴は643年63歳で生涯を閉じますが、太宗はその死をとても哀しみました。
貞観政要には、
「人は銅を以て鏡とし衣服と冠を正し、過去を以て鏡とし世の中の移り替わりに対処し、人を以て鏡とし自分の行動を正すものだ。私は魏徴という立派な鏡を失ったのだ」このような言葉が残されています。
役目がら魏徴と一番喧嘩したであろう太宗ですが、個人的な恨みを受ける危険を顧みず、天下の為に自分を厳しく叱った魏徴を、誰よりも深く信頼し尊敬していたのでしょう。
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魏徴とはどんな人?のまとめ
魏徴は、太宗と同じく能書家として知られていますが、彼に関する格言として「人生意気に感ず。功名誰か復た論ぜん」というものがあります。
この言葉は、魏徴が過去の仲間を唐王朝に帰順させる為に出陣した時の言葉で、人間は相手の心意気に感じて動くもので、私個人の富や名誉などどうでもよいという意味でした。
魏徴は誠心誠意説得すれば、かつての仲間は必ずや降伏してくれると信じ、これは理屈ではなく、ましてや富や名誉など関係ないと言っているのです。幾度も主君を失いながら、敵に見いだされ抜擢された魏徴は、自らの志を忌憚なく述べて信頼を勝ち得た経験から、どんな相手でも真心を以て応じれば通じるという信念を持ちえたのかも知れません。
参考文献:Wikipedia他
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