皆さんは日食、もしくは日蝕を知っているでしょうか?
古来より太陽とは大事なものであり、それが覆われるように見える日食は非常に恐ろしいものと考えられていた時代もありました。しかしその日食について、実は三国志の中に関わりのある人物がいます。今回はそんな……通称・賈ク先生とも呼ばれる賈詡と、日食のお話をしましょう。
日食?日蝕?
まず日食についてお話しましょう。日食は、太陽と月が重なる天文現象です。本来日食は「日蝕」と書かれていましたが、現在では「日食」と書かれるのが一般的になりました。なにで大まかに言うと、日食でも日蝕でも間違いではありません。
今回は日食で統一したいと思います。
色々な日食
そんな日食にも色々な種類があります。良く聞くのは皆既日食、金環日食でしょうか。皆既日食とは、月と太陽が完全に重って、月の方が太陽より(見える形状が)大きい時に生じる日食です。金環日食は、月と太陽が完全に重なって、月より太陽の方が大きい時に生じる日食です。
このため皆既日食では太陽が覆い隠されたような状態になり、暗くなります。金環日食では太陽が完全に隠れていないので、暗くなりません。
古代の日食
そんな日食は現代では珍しいものとして見られていますが、古代では恐ろしいものとして認識されていました。
天に浮かぶ太陽、それが覆い隠されるように見える日食。しかも大地は光を失ったかのように暗くなる……天文現象として知らなければ、ましてや初めてそれと邂逅したのであれば、恐ろしいと思っても仕方がないでしょう。
私たちは日食は一時的なものとして知っていますが、そうでなければ永遠に太陽が隠れてしまうかもしれない、そう考えれば無理のない事です。
呂后の怯え
日食は天の怒りとも捉えられ、時代の権力者に恐れられました。それが良く分かるのが史記の一説、皆さんも良くご存知の悪女、呂后のお話です。
呂后は劉邦亡き後、専横を行いました。しかし彼女はただ専横をしただけでなく、とても残虐な行為も行いました。彼女が何を行ったかはここでは説明は省きます。
ですがどうやら呂后自身も己の行動について思う所があったらしく、日食を目の辺りにした際に「自分の行いのせいだ!」と恐れ、怯えたと言います。この事から悪いことを行うと日食が起こる、というのが既に人々の考えにあったと分かりますね。
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賈ク先生の日食(関係ない)
さて時は流れに流れて、221年8月5日のこと。この時に日食が起こったようです。
これを見た人々は恐れ怯えた……かどうかは知りませんが、この際にある役人が「日食が起こったのは賈クのせいだ!」と騒ぎました。
この上奏に対して曹丕は「天変地異を理由に三公を弾劾してはならない」という詔勅を出しています。賈クは当時、大尉の地位にあったので、三公とは賈クのことですね。
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