賈ク先生の控えめな人付き合い
元々賈クは降将、その立場を理解していた賈クは常に一歩控え、私事での人付き合いも控えめに、子供たちの婚姻に関しても下手に権力者と関係を結ばないように配慮していました。
だからこそ曹操にも曹丕にも頼りにされたのですが、日食が起こったのは賈クのせい!なんて言われるほど、当時の賈クの評判は宜しくなかったものと推測できます。
同時に天変地異が曹丕のせいではなく賈クのせい、と言われることにほんの少しの違和感も覚えます。賈クのあり方とは、そうであったのではないかとも。
「在り方」
賈クは己の立場を理解して、律しました。それでいて、天変地異の責すら唱えられるような、そんな状態でした。言ってみればこの天変地異が時の権力者である曹丕に向かず、賈クに向かったのは——もしかして、と考えてしまうのは、筆者の、ただの思い込みかもしれません。
しかし賈クは己の立ち位置を常に自覚し、行動し、そして利用したのではないかとも思うのです。そしてそういう所が、時の権力者たちに好まれ、信頼されたのではないかと……そう思わずには、いられないのでした。
三国志ライター センのひとりごと
今回は日食と賈ク先生の、筆者のかなーり思い込みと妄想成分過多のお話になってしまいました。しかし賈ク先生の在り方、生き方を見ていくと、ついついそんな妄想をしてしまうのです。
裴松之先生などにはとっても嫌われてしまっている賈ク先生ですが、三国志の読者たちにはかなり好まれている存在でもある賈ク先生。そんな先生のことを考えつつ、今日も筆者はセルフで三国志の沼にハマっていくのでした……ちゃぷん。
参考文献:魏書文帝記 / 史記
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