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小説「三国志演義」での姜維の奮戦
小説「三国志演義」では剣閣をめぐる戦いは物語のクライマックスとなっており、激しい戦いが繰り広げられます。姜維軍は「落石の計」で山から石を落とし、そして諸葛亮が開発したと言わる「連弩」にて魏軍を苦しめます。しかし、成都陥落の報を聞き、姜維軍は石に剣をたたきつけ泣いて悔しがるのです。
詩人「李白」も驚嘆する険しさ
唐の時代の代表的詩人「李白」は蜀の地の出身で、何度も各地を放浪する上で、剣閣の険しさを詩っています。それが李白の「蜀道難」という詩です。
その中で剣閣の事を「剣門山は高く険しい。1人の男が関所を守れば、1万人がせめても開くことは無い。守るその男が親族でないならば、その男は狼や山犬のように敵意をむき出しにしてくるかもしれない。」と、剣門関を落とすことの困難さを詩ってます。
その後の剣門関
後に剣門関は再建され、蜀の地の防衛の要であり続けました。935年には「後蜀」と「北宋」の戦いが剣門で繰り広げられ、結局北宋が勝利し、蜀の地を手に入れています。
明の時代には戦乱は収まり、剣門関には楼閣が立てられます。そこには「天下第一関」と大きく書かれ、観光名所でしたが2006年に火災で焼失。2009年に再建されています。
現在は観光地となる「剣門関」
「剣門関」は現在は観光地として整備され、たくさんの見どころがあるようです。昔は桟道を通り、決死の覚悟で向かった剣門関も今ではケーブルカーがあり、気軽に行くことが出来ます。
また、門では兵士たち(コスプレ)のパフォーマンスもあり、少しだけ古代の雰囲気を味わうこともできます。上述した「姜維が剣を岩に叩きつけて悔しがる」銅像も建てられています。この地方の特産は「剣門豆腐」といい、剣門関を守っていた姜維たちが食べた、と現地では言われているそうです。
三国志ライターみうらの独り言
剣門関を見てみると、囲まれている山が本当に険しく、ここを攻めた軍の苦労がうかがえます。今は気軽に周辺を歩けるので、平和の素晴らしさを実感できますね。
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