難攻不落の「剣門関(けんもんかん)」はどんな場所なの?剣門関の成り立ち


 

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剣閣を攻めまくる鍾会、籠城する姜維

 

剣門関(けんもんかん)」は魏の蜀侵攻の際に姜維(きょうい)が立てこもり必死の抵抗をした場所です。「剣門関を取れば四川を得る」とまで言われていました。その剣門関とはどのような場所なのでしょうか?

 

今回の記事で紹介しましょう。

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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剣門関はどこにある?

三国志 剣閣のお城

 

剣門関は現在の四川省広元市剣閣県にあります。広元市中心部から車で1時間ほどの場所に位置しています。その場所には「大剣山」と「小剣山」があり、お互いまるで壁のようにそびえたっているのですが、その間に一本だけ道が通っており、その道の先に「剣門関」があります。

 

剣門関ができるまで

祁山、街亭

 

剣門関が出来る前は周辺は道がとても険しく、山に穴をあけ、そこに杭を打ち、板を敷く方法で作られた「桟道」と言われる危険な道があるのみでした。

 

祁山、街亭

 

その道は「蜀の桟道」とも名づけられ、蜀の地にたどりつく難しさの象徴でした。その桟道は防衛のために焼かれたりもしましたが、無くてはならない道のため、度々再建されています。

 

関連記事:危険な道「蜀の桟道」はどうやって作る?どう使った?

関連記事:曹真大雨に泣く!蜀を滅ぼす好機を逸した子午の役

 

剣門関の成り立ち

諸葛亮孔明の天下三分の計に感化される劉備

 

劉備(りゅうび)が蜀を支配した際、諸葛亮(しょかつりょう)は国の防衛のために桟道を整備することにしました。その時にこの厳しい自然が蜀の防衛に不可欠ではないか、と気が付いたのです。

 

そこで諸葛亮は山と山の間に関を建設し、蜀の防衛の要としたのです。また、周辺に30里にもわたる桟道を整備し、剣門関と合わせこの防衛エリアを「剣閣」と名付けたのです。

 

剣門関で姜維、必死の防衛をするが

司馬昭から蜀の討伐を命じられる鍾会と鄧艾(トウ艾)

 

その剣門関が力を発揮するときが来ました。それは諸葛亮亡きあとの魏の蜀侵攻です。魏は鍾会(しょうかい)鄧艾(とうがい)に10万もの大軍を持たせ、蜀に攻め込みます。

 

剣閣で守りを固める姜維

 

蜀を落とすには剣門関をなんとしても陥落させなければなりません。剣門関には中央から遠ざけられ、防衛の任に当たっていた蜀の「姜維」が立て籠もっていました。

 

鍾会から降伏するようにと送られた手紙をシカトする姜維

 

鍾会は大軍をもって攻めたてますが、流石に剣門関は天然の要害に守られとても固く、一向に陥落する気配がありません。姜維は10か月にわたりこの地を守りました。

 

農業の知識を使って富国強兵に努める鄧艾(トウ艾)

 

鍾会は撤退も検討しますが、鄧艾は剣閣を迂回し山越えをして成都を強襲することにします。

 

毛布に包まり崖を転げ落ちる鄧艾(トウ艾)

 

鄧艾は崖を落ち、桟道を作りながら道なき道を進み、ついに蜀の城に到達。

 

皇帝・劉禅が住んでいる宮殿や成都を警備する伊賞

 

最終的には蜀の君主「劉禅(りゅうぜん)」を降伏させます。この時、姜維は鍾会の軍をいまだに食い止めていましたが、劉禅降伏の報を受け、無念にも降伏します。

 

関連記事:出自が正反対の鄧艾と鍾会、蜀を滅ぼした功績者の悲しい末路

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劉禅

 

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みうらひろし

みうらひろし

歴史が好きになったきっかけはテレビの再放送で観た人形劇の三国志でした。そこから歴史、時代小説にはまり現在に至ります。日本史ももちろん好きですよ。推しの小説家は伊東潤さんと北方謙三さん。 好きな歴史人物: 呂蒙、鄧艾、長宗我部盛親 何か一言: 中国で三国志グッツを買おうとしたら「これは日本人しか買わないよ!」と(日本語で)言われたのが思い出です。

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