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宮廷で誰とも交流しなかった劉曄
劉曄は、曹操、曹丕、曹叡3代の主君に仕え西暦234年頃に病死しました。生前、劉曄は宮廷でほとんど友達付き合いをせず、孤独を貫いています。ある時に、それを不思議に思った人が尋ねると
「魏王朝は建国されたばかりで、知者は漢の天命を知っているだろう。だが、人間が全てそうであるとは限らない。僕は漢室の枝葉に連なる人間で、同時に魏王朝でも重臣の地位にある。これで仕事以外の事を口走れば少ない友人を失う事になりかねない」
このように劉曄は、前王朝の末裔として仕事以外では沈黙を保ち、いらぬ嫉妬や、やっかみを買う事を用心深く回避していました。その用心深さこそが、劉曄の天寿を全うさせたと言えるのかも知れません。
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三国志ライターkawausoの独り言
劉曄は、人物観察に鋭く公孫淵がやがて魏に叛く事を予見したそうです。しかし考える事が深すぎ秘密主義なので、曹操や曹丕にも十分に用いられるという事はありませんでした。それでも前王朝に連なる血筋を持ちながら、魏王朝の重臣となり失脚する事もなく天寿を全うしたのは見事だと言えますね。
参考文献:正史三国志
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