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劉曄とはどんな人?人物観察が百発百中、予言者のような軍師の生涯

2021年7月5日


 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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宮廷で誰とも交流しなかった劉曄

洛陽城

 

劉曄は、曹操曹丕、曹叡3代の主君に仕え西暦234年頃に病死しました。生前、劉曄は宮廷でほとんど友達付き合いをせず、孤独を貫いています。ある時に、それを不思議に思った人が尋ねると

 

朝まで三国志2017 観客 モブ

 

「魏王朝は建国されたばかりで、知者は漢の天命を知っているだろう。だが、人間が全てそうであるとは限らない。僕は漢室の枝葉に連なる人間で、同時に魏王朝でも重臣の地位にある。これで仕事以外の事を口走れば少ない友人を失う事になりかねない」

 

このように劉曄は、前王朝の末裔として仕事以外では沈黙を保ち、いらぬ嫉妬や、やっかみを買う事を用心深く回避していました。その用心深さこそが、劉曄の天寿を全うさせたと言えるのかも知れません。

 

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三国志ライターkawausoの独り言

kawauso 三国志

 

劉曄は、人物観察に鋭く公孫淵がやがて魏に叛く事を予見したそうです。しかし考える事が深すぎ秘密主義なので、曹操や曹丕にも十分に用いられるという事はありませんでした。それでも前王朝に連なる血筋を持ちながら、魏王朝の重臣となり失脚する事もなく天寿を全うしたのは見事だと言えますね。

 

参考文献:正史三国志

 

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台湾より南、フィリピンよりは北の南の島出身、「はじめての三国志」の創業メンバーで古すぎる株。もう、葉っぱがボロボロなので抜く事は困難。本当は三国志より幕末が好きというのは公然のヒミツ。三国志は正史から入ったので、実は演義を書く方がずっと神経を使う天邪鬼。

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