公孫淵と司馬懿の対決は日本にも影響があった!

2021年8月22日


 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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悲運

行軍する兵士達a(モブ)

 

因みに公孫淵の兄、公孫晃(こうそんこう)は弟のことをよく理解していたようで、弟が何れ魏に背くであろうことも想定していました。このため征伐軍を出して欲しいと度々上奏文を出すもこれは取り上げられず、そして兄の想像通りに弟は魏に反旗を翻し、司馬懿によって鎮圧。

 

憤死する麋竺(モブ)

 

兄は弟に連座し、一族は誅殺されました。正に悲運と言えましょう。ここに公孫淵の一族は滅んだのです。

 

 

日本との繋がり

邪馬台国と倭人

 

さて公孫淵に関して、実は日本との繋がりがちょっとある人物です。というのも公孫淵は近隣諸国からの貢物を自分のものにしていたようで、公孫淵が取り除かれてからはこれらがきちんと魏に収められるようになりました。

 

邪馬台国と魏の兵士

 

この一つに倭国があります。そして後にかの卑弥呼(ひみこ)が魏に使者を出すことになるので、実は司馬懿がいなければこの関係はなかった可能性もあるのです。

 

邪馬台国の卑弥呼はアイドル

 

そう思うとちょっと司馬懿に感謝しないとなぁ、なんて思う筆者でした。こういう繋がりって面白いですよね!

 

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日本古代史を分かりやすく解説「邪馬台国入門はじめての邪馬台国

 

 

 

三国志ライター センのひとりごと

三国志ライター セン

 

今回は司馬懿の、というよりも公孫淵と日本との繋がりをご紹介させて頂きました。こういう歴史の中での繋がりは、細いものも多いですがとても面白いと思います。

 

センさんが三国志沼にドボン b

 

もしこれがなかったら時代がどう変わっていたか……そう考えるのもまた醍醐味。本日も三国志沼より、お届けいたしました……ちゃぷん。

 

参考文献:晋書武帝記 魏書三少帝紀

 

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大和朝廷

 

 

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セン

両親の持っていた横山光輝の「三国志」から三国志に興味を持ち、 そこから正史を読み漁ってその前後の年代も読むようになっていく。 中国歴史だけでなく日本史、世界史も好き。 神話も好きでインド神話とメソポタミア神話から古代シュメール人の生活にも興味が出てきた。 好きな歴史人物: 張遼、龐統、司馬徽、立花道雪、その他にもたくさん 何か一言: 歴史は食事、神話はおやつ、文字は飲み物

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