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諸葛亮の北伐を手習いに
これは個人的な考えですが、周囲との軋轢がなかった父、諸葛瑾の息子であった諸葛恪は、父親みたいには自分はなれないだろうと分かっていたのではないでしょうか。
じゃあ呉における何になるかと言うと、諸葛亮のようになりたかったのでは?
だから諸葛亮のように北伐を行い、成功すればよし、失敗してもまあ退却すれば大丈夫だろう……ぐらいにしか考えてなかったのではないかと思うのです。現に諸葛亮は何度も北伐を行っていましたから。
ただ諸葛亮と諸葛恪の絶対の違いが見えていなかったのでしょう。そう、人望です。
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【北伐の真実に迫る】
呉と蜀の差
諸葛亮はそもそも北伐に成功していないと言えど、大きく国力を削いでいない(いたら何度もできない)上に、周囲から信頼されていました。
この信頼には諸葛亮が劉備に後を託された、と同時に、そもそも蜀には既にもう諸葛亮レベルのことをできるのが諸葛亮くらいしか残されていない、という事情があります。
これらの条件が揃っておらず、しかも血縁者でない蜀の人にすら「諸葛恪の性格ないわー」とか言われてしまうレベルの人物である諸葛恪では、やはり諸葛亮になることはできなかったんだな、と。
では人格者であった父親になれたかと言うとそうでもない……そう思うと、呉の虎の息子、何だかちょっとだけ可哀想になってきますね。
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三国志ライター センのひとりごと
因みに諸葛恪の「世代交代したらやられる!」って言っているの、中々面白いですね。これはもちろん、政治が落ち着いたら、という意味で言っているのでしょう。
しかし呉を滅ぼしたのは晋です。そう「世代交代」してからやられたのです。
いやあー歴史って面白いね!
どぼん!
参考文献:呉書呉主伝 諸葛恪伝
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