春秋戦国時代の中国と言えば動員される兵力がケタ違いなイメージです。
キングダムでも有名な長平の戦いでは秦と趙で併せて百万の軍勢が激突し兵士の雄叫びで邯鄲の屋根瓦が震えたと記述されています。
一方、日本では関ケ原の戦いでも十数万と中国に比較すると1/10程度です。
では、なぜ日本では百万を越える兵力が動員できないのでしょうか?
兵力が少ない原因1、戸籍の有無
日本と中国で動員できる兵力が大きく違う理由、それは第一に戸籍の有無です。
春秋戦国時代の晩期、華北地方では、戸と呼ばれる形態の緊密な小家族が成立し、これが社会の最小単位として機能していました。そこで権力者は戸を把握して戸長を定め家族を統率させ手支配したのです。
戸籍は人口を把握すると同時に納税や労役、兵役に就ける人間を把握するツールでもあり戦国七雄は戸籍を把握する事で国内人口を把握し、動員できる最大兵力を把握できました。長平の戦いも秦と趙が戸籍を調べて動員可能な最大兵力を出したから両軍で100万人という桁外れの兵力が動員出来たのです。
日本でも飛鳥時代から奈良、平安時代にかけて唐の律令制を取り入れ、50戸を一里として、人民から租庸調を徴収し成人男子には兵役の義務を課していました。
中国の律令をそのまま取り入れた戸制ですが、日本の実情には合わず、やがて形骸化していきます。それでも西暦794年坂上田村麻呂の蝦夷討伐で大和朝廷は10万の軍勢を田村麻呂に率いさせています。奈良時代の日本の人口は600万人とも言われるので、人口の1.4%を動員した事になり、これは戸籍を整備していないと難しかったでしょう。
しかし、日本の律令制は荘園の発達で崩壊し戸籍は更新されなくなります。やがて国軍も維持できなくなった大和朝廷は地方の支配を国司や受領に任せ、受領は有力な農民階層である田堵や負名を通して民衆を間接支配しました。
全国を支配する大きな政府がなくなり、戸籍もないので総力を挙げて兵力を動員する戦いも出来なくなったのです。
関連記事:晏嬰(あんえい)とはどんな人?孔明の好きな梁父吟を作った春秋戦国時代の名宰
関連記事:諸子百家って何?春秋戦国時代に花開いた思想の数々をご紹介
兵力が少ない原因2、地形の違い
第二の要因は地形でしょう。中国の華北平原はどこまでも平たい平原であり、その影響もあり春秋戦国時代でも戦車が多用されています。このような土地では進軍で特別な苦労なく、食べさせていけるだけの十分な食料があれば大軍を移動させる事が可能でした。
一方の日本は国土の73%が山地という平坦とは程遠い土地です。平地は海岸沿いにしかなく、土地のアップダウンが激しいので大陸国のような馬車は発達せず、移動は籠か騎乗、そうでなくば歩くしかありません。
大軍を率いての戦が好きだった戦国末期の豊臣秀吉の小田原攻めにしても、総兵力は21万と後北条氏の8万の3倍という圧倒的な規模でしたが、それを支える補給部隊も凄いものでした。
秀吉は、部下の長束正家に命じて、20万石という米を徴発させ、黄金1万両を参じて輸送用の馬1万頭を揃え、毛利輝元に命じて千隻の船を使い、清水港に20万石もの兵糧を楊陸させ、袋城という城跡で物資を管理させています。
どうして、ここまで大掛かりな補給基地が必要なのかといえば、当時の関東には人口が10万人を超える大都市はなく、現地調達が出来ないからでした。山が多くインフラが未整備なので人口が多くなく人口が多くないので石高も高くなく、そうなると動員できる兵力も石高に制限を受けて必然的に小さくなる。戦国日本で百万の大軍を動員するのは、大変な困難を伴うのです。
関連記事:キングダム586話YJ合併号スペシャル春秋戦国時代の数学って?
関連記事:『鼎の軽重を問う』とは誰の言葉?五分でわかる春秋戦国時代のことわざ
—熱き『キングダム』の原点がココに—
兵力が少ない原因3、食べている穀物の違い
春秋戦国時代の中国人も戦国時代の日本人も大半が農民でした。しかし、同じ農民でも栽培している作物は違い、日本では稲が圧倒的だったのに対し、春秋戦国時代の華北では、粟や黍、大麦が主食です。
米は収穫すれば、さほどの加工をせずに食べられる有難い作物です。しかし、種蒔きから収穫までに120日から140日間もかかる上、田んぼから水を抜いたり、雑草を刈り取ったり、人手を必要とする事が多い作物でした。
逆に、華北で主食だった粟や黍は90日程度の栽培期間であり、田んぼのように水を引く必要もないので、稲に比較すると人手がかかりません。
このため、春秋戦国時代の華北では、農業に割く人員が稲よりもずっと少なくてすみ、その分大軍を動員できたという事になります。
関連記事:【春秋戦国時代の謎】どうして秦が天下統一することができたの?【法律編】
関連記事:キングダム(春秋戦国時代)には核兵器は存在した?葵丘の盟とオバマ大統領の広島訪問
春秋戦国時代ライターkawausoの独り言
いかがでしたでしょうか?
春秋戦国時代の中国の総人口は2000万人程度と言われていて、戦国時代の日本の人口1500万人よりは1/4程度多いですが、そこまで桁外れに違うわけではありません。
しかし、それ以外の要因として、戸籍の有無や地形の違い、そして作物の違いが動員できる兵力に大きな差を生んでいるとkawausoは考えたのですが、皆さんはどのように考えますか?
関連記事:【春秋戦国時代の偉人】武霊王はなぜ胡服騎射を導入したの?
関連記事:【歴史嫌いな中高生必見】春秋戦国時代はいつ始まってどこで終えたの?