西暦222年の洞口の戦いの時、吾粲は呂範、賀斉と共に魏将の曹休を防ぎました。
しかし、たまたま大嵐に遭遇し、船を繋いでいる綱が切れてしまい、 多くの船が岸に打ち上げられ魏軍に奪われたち、沈没したりしました。 その中でもいくつかの大船はなんとか波間に浮かんでいましたが、 そこに溺れた呉の兵士が救いを求めて縋りつこうとします。
しかし、船の沈没を恐れた船の乗員は矛と戈で縁に縋りつこうとする 兵士の指をついて受け付けませんでした。しかし吾粲と黄淵だけが乗組員に命じて溺れた味方を救助させました。
幕僚は恐れて、船が重くなり必ず傾きますと止めさせようとしますが 吾粲は 「それがどうした!船が沈めば共に死ぬだけだ! 溺れている味方をどうして見捨てられよう」と言い 構わずに人命救助を続け、100名あまりの呉兵を救いました。
こんな立派な吾粲ですが二宮の変では直言をして孫和を庇い危険を冒して陸遜に状況を知らせたので孫覇派に讒言され孫権により投獄され処刑されました。
色々と呉は惜しい人を二宮の変で失っている そんな気がしてなりません。