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士一族の終わり
しかしこれはあくまで密約でしかなかったのでしょう。呂岱は、そして孫権はこの反乱に加担した者たちを逃す気はありませんでした。士徽を始めとした彼の兄弟たちと共にこれを殺害。士徽たちを降伏させた褒賞として士匡、とその父は罪に問われることはなかったものの、身分は平民とされ、後に士匡の父は法を犯したとして処刑されました。
そして一人生き残ってしまった士匡の最期は、どこにも記されてはいません。
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三国志
三国志は、三つの国のバランスで成り立った時代です。しかし後半に行くにつれ、そのバランスは大きく崩れていきます。士一族は、そのバランスの上で生きてきた一族でした。
しかしバランスが崩れてしまったからこそ、呉から逃れるすべはなくなり、滅亡しました。孫権、そして呂岱の追求をこの時点で退けたとしても、士一族はいずれ滅ぼされていたでしょう。色々な意味で士一族は「三国志」の世界だからこそ生き残れたという、ある種、三国志の体現のような一族だったように思えますね。
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三国志ライター センのひとりごと
因みに士燮が亡くなった時には90代と言いましたが、この事から士匡の父親も亡くなった際には既に80代と思われ、何とも長生きな一族だなぁと思わせてくれます。
そう思うともしかしてこの時点だけでも乗り切れたら、彼も兄のように一族の滅んでいく様は見ずに済んだのでしょうか。長く生きるのもそれだけで辛い時代、そんな人生だったかと思うと……士一族は何とも言い難い一族ですね。
ちゃぷり。
参考文献:呉書士燮伝 呂岱伝
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