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汗血馬は実在していた! 汗血馬の子孫とも呼ばれる幻の馬「アハルテケ」

2022年1月31日


 

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汗血馬

 

読者の皆さんは、「汗血馬(かんけつば)」という馬をご存じでしょうか?

 

汗血馬を渇望した前漢の第7代皇帝・武帝

 

はるか昔の漢の武帝(ぶてい)の時代、漢の遥か西の大宛(だいえん)フェルガナ)で産出され、「血の汗を流し、一日千里を走る」と言われた伝説的な名馬です。武帝は汗血馬を渇望するあまり、大軍を派遣して大宛を攻め、汗血馬を手に入れたほどです。

 

現代の汗血馬ことアハルテケ

 

今回は、一説ではそんな「汗血馬」の子孫とも呼ばれる、「幻の馬」ことアハルテケについてご紹介したいと思います。

 

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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アハルテケとはどんな馬?

砂漠に溶け込むための毛色をしていたアハルテケ

 

アハルテケとは、中央アジアのトルクメニスタンを中心に生産されている馬の品種です。アハルテケは体高140cmほどと、皆さんがよく目にするサラブレッドよりはやや小ぶりな体格です。また、アハルテケは他の馬と異なる長い耳とまばらなたてがみ、強く丈夫な脚が特徴です。

 

とはいえ、アハルテケの最大の特徴は、その光沢をもった体毛でしょう。アハルテケの毛は光を受けて光り輝き、非常に美しいことが知られています。

 

特に、一部の個体の毛色はクリーム色の河原毛(かわらげ)月毛(つきげ)と呼ばれる毛色であり、こうした毛色のアハルテケはまるで全身が黄金で出来ているかのように光り輝いて見えるほどです。

 

アハルテケ(動物)

 

そして、こうした神秘的な姿から、アハルテケは「幻の馬」「黄金の馬」として讃えられているのです。また、アハルテケは見た目ばかりでなく、乗馬としても優秀であり、中央アジアの砂漠地帯の厳しい環境に耐えられる高い耐久力を持ち、長距離を走りぬく強い足腰を持っていました。

 

これについては、1935年にトルクメニスタンのアシガバードからソ連の首都・モスクワまでの4000km余りを84日で走破したという驚異的な記録が残っています。

 

関連記事:皇帝が渇望した名馬、汗血馬の中国古代史!中華文化が汗血馬を獲得できた経緯

関連記事:赤兎馬は汗血馬だった? 現代の「汗血馬」の姿・アハルテケにも迫る

 

ながら世界史

 

 

 

アハルテケの歴史

幕末 西郷隆盛(パソコン)はてな

 

美しい姿と強靭な体力を持つアハルテケですが、その先祖はよくわかっていません。アハルテケが生産されていた中央アジアはシルクロード交易の要所であり、ユーラシア大陸の東西からやってきた様々な商品が取引されていました。

 

その中で、世界各地の馬が商人たちによってこの地に持ち込まれた歴史があります。

 

凡人すぎた楊雍(はてな)

 

そうした背景もあり、アハルテケがどのように誕生したのはよくわかっておらず、イランで飼育されていたトルクマン種と呼ばれるすでに絶滅した品種との類似性を指摘する向きはありますが、今となってはその関係も不明です。

 

アハルテケが世界中に広く知られるようになったのは、1881年にロシア帝国がトルクメニスタンを征服した後です。ロシア帝国は、中央アジアの遊牧民が育てていたアハルテケを保護し、トルクメニスタンを中心に各地に牧場を建設し、アハルテケの育成に乗り出しました。

 

その際、ロシア帝国の将軍・クロパトキンは中央アジアにあったオアシス都市であるアハルと、そこに住んでいたテケという部族の名を取り、この馬を「アハルテケ」と名付けたと言います。その後、ソ連が誕生すると、中央アジアを襲った食糧難を切り抜けるべくアハルテケをはじめとする馬が食用とされ、アハルテケの頭数は激減します。

 

しかし、ソ連崩壊後にこの地に誕生したトルクメニスタンは、「黄金の馬」アハルテケを国の特産物として保護し、国章にもアハルテケをあしらうなど、アハルテケの存在はトルクメニスタンにとって国の誇りとなっているのです。

 

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アハルテケと汗血馬

汗血馬を手に入れる李広利

 

冒頭でも述べましたが、このアハルテケと漢の武帝が渇望した汗血馬は果たして同じ馬なのでしょうか?これを裏付ける根拠は残念ながらありません。「アハルテケ」が知られるようになったのは19世紀末からであり、紀元前の中央アジアにこの馬が生息していたかは不明です。

 

しかし、アハルテケは砂漠の景色に溶け込むためにクリーム色・栗色などの薄い毛色の個体が多く、そうした個体は寄生虫に吸血された際に滲んだ血の痕が見えやすく、これが「血の汗をかく」という汗血馬の特徴を指しているのではないかという説があります。

 

なお、現在の中国では、アハルテケを「汗血馬」として飼育し、観光客向けに展示する牧場が新疆(しんきょう)ウイグル自治区などにあり、毎年多くの観光客を集めています。

 

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三国志ライター Alst49の独り言

Alst49さん 三国志ライター

 

いかがだったでしょうか。

 

「黄金の馬」と呼ばれるアハルテケは、その特徴的な姿から、あたかもファンタジーの世界から飛び出してきたかのような神秘的な印象を受けます。アハルテケは現在、トルクメニスタンからの輸出が禁止され、保護対象となっていますが、それ以前に輸出された個体の子孫が全世界で飼育されています。

 

日本にもアハルテケを飼育している牧場[1]があるそうですので、もし興味がありましたら、訪れてみるのはいかがでしょうか。

 

参考:黄金の馬 アハルテケ(外部サイト)

 

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馬が動かした中国史

 

 

 

 

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Alst49

大学院で西洋古代史を研究しています。中学1年生で横山光輝『三国志』と塩野七生『ローマ人の物語』に出会ったことが歴史研究の道に進むきっかけとなりました。専門とする地域は洋の東西で異なりますが、古代史のロマンに取りつかれた一人です。 好きな歴史人物: アウグストゥス、張遼 何か一言: ライターとしてまだ駆け出しですが、どうぞ宜しくお願い致します。

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