東晋が宋に滅ぼされる
さて北では西晋が匈奴と羯の連合軍によって滅亡した後、匈氐奴族、羯族、鮮卑族、氐族、羌族の五胡によって支配されていました。
五胡がそれぞれの王朝で争っていた華北では最終的に前秦が華北を統一、東晋に90万の軍勢を率いて攻め込んできます。
対する東晋はこれを8万という兵力で迎え撃ちます。軍勢だけで見るとボロ負けしそうに見えますが、これは東晋の大勝利。これは前秦の軍が色々な民族の混成であったためにまとまりが悪かったためと言われており、再び華北は分裂状態に陥ります。一方で東晋も東晋で反乱祭り。結果、420年に劉裕が恭帝によって禅譲、宋を建国して東晋は滅びました。
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三国志の繰り返し
ここまで見ていくと三国志ファンにはお馴染みの展開祭りなのが東晋の面白い所。
魏から禅譲され建国された西晋。西晋が滅んで再び蘇った東晋の土地は元々呉の土地。そしてその東晋の敵と言えば北……そう、嘗ての蜀のように北伐を行う。更に言うならば後漢末期の如く皇帝の権力は地に落ちている……東晋は三国時代をまぜこぜにしたかのような時代です。
これは歴史の妙と言うべきか、それともはたまた何らかの超常現象が関与していたのか……?
ともあれ晋王朝、これにて終焉とさせて頂きます。
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三国志ライター センのひとりごと
今回は晋、東晋と呼ばれる王朝についてまとめさせて頂きました。前述したように、東晋は不思議なことに三国時代に良く似ている状況が巻き起こされています。これは歴史であって意図されたものではないですが(意図するのは不可能でしょうが)、こうやって時代を見ていくと何とも面白いものです。
三国志ファンには今ひとつ注目されていない時代ですが、ぜひたまにはこの晋の時代にも目を向けてみて下さいね。
参考文献:晋書元帝記 明帝記 孝武帝記 安帝記 恭帝記
川本芳昭 「中華の崩壊と拡大 魏晋南北朝」
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