東晋王朝とは?超弱い帝国について知ると三国志はもっと楽しくなる!

2022年3月20日


 

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晋王朝を作った司馬炎

 

(しん)王朝は司馬懿(しばい)の孫である司馬炎(しばえん)によって建てられた王朝。天下統一、そして三国時代の終焉を迎えさせたとして有名な王朝です。

 

しかしその王朝も一旦終焉を迎えました。今回はこの晋王朝をより知って頂くべく、東晋と呼ばれる時代をご紹介していきましょう。

 

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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西晋のおさらい

三国志を統一した司馬炎

 

まずちょっと西晋のおさらいです。

 

司馬炎によって建てられた晋王朝、この王朝は司馬炎の息子……の妻である()皇后が色々とやらかし、(はちおう)の乱と呼ばれる一族での内乱によって国が乱れ、国力の減退を招いている間に力を付け、南下してきた北方民族、南匈奴(みなみきょうど)劉淵(りゅうえん)が漢王を称して建国された漢の国によって終焉を迎えます。

 

誅殺大好きな賈南風

 

最終的に316年には劉淵の息子、劉聡(りゅうそう)によって晋は滅びました。ここまでが主に西晋、と呼ばれる時代です。

 

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三国志と異民族

 

 

 

晋は死にましぇん(40代以上笑うトコ)

司馬炎の要請で戦地に向かう重病の司馬攸

 

しかし晋はそこで滅んだわけではありません。後続の一人であり、司馬懿の四男の孫に当たる司馬睿(しばえい)が江南の地に逃れていたのです。そして317年、建業(けんぎょう)で元帝として皇帝の位につき東晋を建国しました。晋は再び蘇ったのです。

 

……ここで三国志ファンならこの地、建業が元々「晋によって滅ぼされた()の首都」であることに、不思議な縁を感じるかと思います。これもまた晋という時代の面白さ、どんどん見ていきましょう。

 

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八王の乱

 

 

馬と王氏のコンビ政権

司馬瑋

 

さて晋を再建国としたとしても、皇帝は亡命してきた人物であり、権力は殆どありません。このため司馬睿は江南の豪族と上手く付き合うことにしました。

 

余りに権力がなかったために「王と馬とが天下を共にしている」と評価されるほどでしたが、地方豪族に頼るしか方法はありません。

 

ある程度力を付けてからは豪族たちの権力を抑えようとするも、逆に反乱を起こされてからは「もう一度一緒にやって行こう」と謝罪をするなど、皇帝とは名ばかりの厳しい現状のまま、司馬睿は亡くなります。

 

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はじ三倶楽部

 

 

お飾り皇帝

司馬攸は宿所で血を吐いて38歳で亡くなる

 

後を継いだ明帝(めいてい)は名君であり、豪族らが起こした王敦(おうとん)の乱を鎮圧するなどして皇帝の権力を高めることに成功したと思われるも、彼は27歳という若さで亡くなってしまいます。

 

これ以後は殆ど皇帝というお飾りとなり、重臣たちが権力を握ることとなりました。

 

イナゴに畑を荒らされ食料不足(蝗害)

 

一方、北では八王の乱永嘉(えいか)の乱と国は荒れ果て、洪水、日照り、イナゴと乱れに乱れた土地を捨て、民衆は江南へと移住していきました。

 

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北府軍と西府軍

長安(俯瞰で見た漢の時代の大都市)

 

東晋の軍は首都近郊に駐屯して北の守りを固める北府軍と、荊州(けいしゅう)に駐屯して西の守り固める西府軍、二つの巨大な軍によって成り立っていました。

 

二つの軍の力が強大でありながら拮抗していたために、東晋の時代が成り立っていたとも言えます。しかし桓温(かんおん)という人物の台頭により、西府軍によって東晋は危機に陥ります。実際、簒奪(さんだつ)一歩手前までいきましたが失敗、病死、となんとか東晋はこの危機を乗り越え……たように思えましたが。

 

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両親の持っていた横山光輝の「三国志」から三国志に興味を持ち、 そこから正史を読み漁ってその前後の年代も読むようになっていく。 中国歴史だけでなく日本史、世界史も好き。 神話も好きでインド神話とメソポタミア神話から古代シュメール人の生活にも興味が出てきた。 好きな歴史人物: 張遼、龐統、司馬徽、立花道雪、その他にもたくさん 何か一言: 歴史は食事、神話はおやつ、文字は飲み物

-五胡十六国