改めて幾人もの名将たちが三国志に出てくることを日々、痛感しているばかりな筆者ですが、今回はその中から韓浩についてご紹介しましょう。韓浩はちょっと目立たないけれど、曹操にとても信用され、大切にされた武将の一人です。
そんな彼についてのエピソードもいくつかご紹介しましょう。
韓浩は夏侯惇に見出された一人
韓浩の字は元嗣、生年は不詳ですが、後漢末期の荒れた時代の出身であることは確かでしょう。若い頃から彼の故郷は盗賊たちに襲われることが多く、それを憂いた彼は村の皆で自警団のようなものを結成し、これを撃退しました。
このことを評価されて太守の従事とされ、その後は夏候惇に見出され、後に曹操に仕えることになりました。
関連記事:韓浩(かんこう)とはどんな人?曹操が常に手元に置きたがった男
関連記事:曹操のボディーガード「典韋」を推薦したのは夏侯惇だった?
太守にはなれず……?
夏候惇に見出され、曹操に仕えた韓浩は、それからも良く働いて功績を挙げていきます。良い人材を見出すのが趣味の一つのような曹操、智勇兼備の韓浩を重用するようになり、護軍として任命されることになりました。
こうして韓浩は曹操の軍の中核となっていきます。そして曹操が漢中を得た際には、周囲の武将たちにも信用されていたのか、彼を漢中の太守にしては、と言われました。しかし曹操はこれを却下し、夏侯淵が漢中を預かることとなります。
関連記事:魏の功臣「二十五功臣」蜀の功臣「五虎将軍」では呉は?
関連記事:4474名に聞きました!曹操が一番優れている点は?
その理由とは?
どうして韓浩は漢中を任されることがなかったのでしょうか?
ここで夏侯淵に任せた辺り、縁故による任命でしょうか?
それともここに至って曹操の心は韓浩からは離れていたのでしょうか……?
いいえ、そうではありません。
曹操は「韓浩がいないとダメ!」と、手元から彼を離すことを嫌がったのです。これもまた信用と信頼の現れだったのですね。曹操は後に韓浩が亡くなった際にはその死を涙を流して惜しんだと言います。それほどお気に入りの武将だったのでしょう。
関連記事:下邳の戦いで夏候惇は目玉を食べていない?猛将のイメージを付け加えた理由
夏候惇とのお話
さてそんな韓浩を見出したのは夏候惇ですが、その夏候惇との間に次のようなエピソードがあります。時代はだいぶ戻って、呂布が曹操の留守中に暴れた時のこと。これに対峙した夏候惇ですが、この時に呂布の配下が降伏してきました。夏候惇はこれを受け入れますが、これは相手の作戦でした。夏候惇は捕まり、夏候惇の命と引き換えに金銭を要求してきます。これに対処したのが韓浩です。
関連記事:三国志の時代には誘拐が大流行していた?その驚きの理由とは
関連記事:大発明!耕しながら戦う曹操のフロンティアスピリット
敵の前に出てきた韓浩は
「夏候惇将軍を捕まえたからと助かると思うなよ!自分たちはお前たちを討伐するためにここにいる!」
「将軍は我らにとって柱のようなものではあるが、だからといって軍規を乱すことはできない!」
「例え夏候惇将軍を失っても、お前たちを生かすことはできない!……将軍、お許しを!」
韓浩は涙を流しながら叫び、賊軍討伐を開始。思わぬ行動に敵軍は武器を投げ捨てて命乞いするも、韓浩は彼らを許さず全員討ち取ったと言います。
関連記事:夏侯惇伝の注釈・魏略から読み取る魏将・夏侯惇と鏡の違和感
関連記事:曹操のボディーガード「典韋」を推薦したのは夏侯惇だった?
やはり決断力が全てを解決する
因みに夏候惇は無事。つまり結果論とは言え、韓浩は軍規を乱すことなく敵を討ち倒し、将軍の命も救ったのです。これは夏候惇から曹操に伝えられ、曹操はその決断力の高さを高く評価しました。
これ以降、曹操は「もし人質を取られても構わずに敵を倒せ」と命を出したことで、逆に曹操たちは人質を取られることが無くなったと言います。
韓浩はかつて、妻の父親を董卓に人質に取られて臣下になるように迫られた際にもこれを拒否しています。どんな状況下でも決して屈さない、それが彼の心の一本柱だったのかもしれませんね。
関連記事:夏侯惇の逸話は豪快だけじゃない?隻眼将軍の逸話を探る!
関連記事:華麗なる夏侯惇の一騎打ちの記録とは?血気盛んな隻眼将軍の戦績
革命
また、彼は曹操に、曹操の軍にある進言をしたことでも有名です。乱世の中で村々は荒れ果て、耕作放棄地も多く、また故郷を戦乱の中で失ってしまった流民たちも多くいました。韓浩はその放棄地を国で管理し、彼ら流民に貸し与えて収穫物をいくらか徴収することで、安定した兵糧確保を行うことを進言したのです。
当時の兵糧確保は必要になると徴収、もしくは進軍した先で略奪、というもので、兵糧不足になることも多かったのです。韓浩の進言した屯田制は曹操軍に大きな利益をもたらすことになり、長く曹操軍の戦いを支えるようになったのでした。
関連記事:曹操の盟友「夏侯惇」は曹丕とはどんな関係だったのか?
関連記事:夏侯惇将軍の正しい名前の読み方は、かこうとん?かこうじゅん?どっち?
三国志ライター センのひとりごと
ご紹介した韓浩は、魏の臣下の一人です。しかし彼自体には伝はなく、夏侯惇の伝に付随した文、そして魏書にしかその記述は見られません。これは彼の能力、活躍が劣っていたということではなく、魏という国にはそれだけ数多の名将たちが多くおり、あくまでそれらと比べると彼の記述を削ることになったということでしょう。
改めて魏の人材の豊富さを再確認した筆者でした。
どぼん!
参考文献:魏書夏候惇伝 魏書
関連記事:夏侯惇の外見ってどんなイメージ?理想の夏侯惇像をちょっと描いてみる
関連記事:スキャンダルにまみれた夏侯惇の息子・夏侯楙の嘘と真実





















