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魏の功臣「二十五功臣」蜀の功臣「五虎将軍」では呉は?

2021年12月16日


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五虎大将軍b 関羽、張飛、馬超、趙雲、黄忠

 

今回はちょっと息抜き雑談会としまして、功臣についてのお話です。

 

曹操が手元に置いておきたかった韓浩

 

例えば三国志演義では五虎将軍(ごこしょうぐん)と呼ばれる蜀の名将たちが出てきますし、魏もそれに対して五将軍と呼ばれる名将たち、また実際に曹操廟(そうそうびょう)に表彰された二十五功臣たちもいます。

 

李儒と三国志(はてな)

 

対して呉は?呉だって呉将軍とか呉虎将軍とかいても良いのでは?ということで五虎将軍や五将軍、二十五功臣達を紹介しながら、呉の名将たちも考えてみてみましょう!

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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五虎将軍

五虎大将軍a 関羽、張飛、馬超、趙雲、黄忠

 

言わずと知れた三国志演義で出てくる五虎将軍。筆頭は関羽(かんう)、メンバーはそれに加えて張飛(ちょうひ)趙雲(ちょううん)馬超(ばちょう)黄忠(こうちゅう)です。

 

 

弓の名人・黄忠

 

 

なおこれらのメンバーは三国志演義で適当に選ばれた者たちではなく、正史で「関張馬黄趙伝」と彼ら五人が一つの巻にまとめられているからとも言われています。

 

劉備軍で出世する魏延と黄忠

 

ただし任命された当初は関羽、張飛、馬超、黄忠が前後左右将軍に任命されているのに対し、趙雲だけそこまで地位が高くない、という疑問点もあります。

 

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関帝廟

 

 

 

趙雲に関して

男気溢れる趙雲

 

因みに三国志の記述において、趙雲の記述が非常に少ないというのは皆さん良くご存知のこと。趙雲は注釈である趙雲別伝での記述が非常に多く、これらの記述を踏まえて三国志演義では趙雲は大幅に加筆がされています。

 

 

孔明(諸葛亮)から重宝される趙雲

 

これを踏まえて三国志演義では五虎将軍に趙雲も任命されておかしくない人物として描かれたのでしょう。

趙雲に討たれる張コウ(張郃)

 

とは言え正史にもしっかりと勇猛で良く功を立てた人物として記されているので、趙雲が同じ伝として記されたのも何らおかしいものではないと思われます。

 

関連記事:晋にも五虎将軍が存在した?魏の五将軍に匹敵する晋の名将を紹介

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趙雲

 

 

魏の五将軍

現代でも人気な張遼

 

対して魏から選ばれた五将軍、言ってしまうと五虎将軍への対抗馬が魏の五将軍と呼ばれるのが張遼(ちょうりょう)楽進(がくしん)于禁(うきん)(ちょう)コウ、徐晃(じょこう)の五人です。筆頭は張遼であり、彼らもまた「張楽于張徐伝」と一緒の伝にされています。

 

最終的には協力して戦う李典や楽進と張遼

 

また同時期ではないものの、前将軍に張遼、右将軍(前任)に楽進、左将軍(前任)に于禁、左将軍(後任)に張コウ、右将軍(後任)に徐晃と前後左右将軍を務めた経歴のある人物たちです。

 

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張遼

 

 

血縁関係者除外

実は文官タイプだった夏侯惇

 

因みに夏侯淵(かこうえん)夏候惇(かこうとん)曹仁(そうじん)らは別伝にまとめられていますが、これは曹操との血縁関係があるという点もあって除外されており、五虎将軍に対してとても良い(数字的に)メンバーとなったので、五将軍、とよばれるようになったのでしょう。

 

朱霊

 

更に余談ですが、実は徐晃伝には朱霊(しゅれい)の伝も記載されていますが、数の理由からか省かれることが多いですね……

曹操・曹丕・曹叡の3代に仕えた朱霊

 

しかし実は朱霊も五将軍を務めた経歴持ちなので、六将軍になっても全然大丈夫ですよ!(?)

 

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夏侯惇

 

 

曹操廟の二十五功臣

曹操のお墓(曹操高陵)

 

そして魏では曹操の功臣たちとして曹操廟に表彰された25名もいます。とは言っても彼らが表彰された時代には曹操はもう亡くなっているのですが、それでも実際に表彰された人物たちです。

 

荀攸と荀彧

 

こちらには于禁がおらず、朱霊が、また荀彧(じゅんいく)はいないものの荀攸(じゅんゆう)が表彰されていたりと、中々選出メンバーに共通点が見られないメンバーなのが興味深い所ですね。

 

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荀彧特集

 

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両親の持っていた横山光輝の「三国志」から三国志に興味を持ち、 そこから正史を読み漁ってその前後の年代も読むようになっていく。 中国歴史だけでなく日本史、世界史も好き。 神話も好きでインド神話とメソポタミア神話から古代シュメール人の生活にも興味が出てきた。 好きな歴史人物: 張遼、龐統、司馬徽、立花道雪、その他にもたくさん 何か一言: 歴史は食事、神話はおやつ、文字は飲み物

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