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許褚と交換して曹操の護衛をする
これはもう潼関の一幕からのインスピレーションとりかへばやですが、三国志演義で曹操を一族の仇と恨む馬超が曹操の護衛やっているって絵面がもう面白いですね。
お互いに一族を率いて戦っていた経歴もありますし、とりかへばや自体はそこまでおかしくはないかも? まあ曹操がとりかへばやした馬超を許チョのように自分の身の回りを任せるかどうかは……ないかな、うん……。
許チョの方は劉備に迎え入れられて良い護衛として取り立てられそうなのが何とももの悲しい所ですか。
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活躍の場が限定的な馬超
馬超はどうしても正史のベースで考えると、どこに迎え入れるのも難しい武将ですね。蜀だからこそ北の異民族の押さえとして迎え入れられたというイメージがあります。
しかし逆を言うとそれ以上の働きが馬超にはなく、それが正史の記述の少なさかな、と考えられました。だからこそ三国志演義では大々的に活躍をさせられたのではないかとも思います。中々難しい立場ですね、馬超。
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三国志ライター センのひとりごと
考えてみると意外と難しい馬超でした。こう振り返ってみると三国志演義での馬超は上手く調理をされているのだとも改めて気付くことができましたね。馬超のことを考えて三国志演義の凄さに気付くというのは、中々面白いです。
そんな新たな一面にも気付くことができる三国志とりかへばや考察、どうぞ話の種によろしくお願いいたします。
どぼん!
参考文献:蜀書馬超伝 魏書許チョ伝
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