馬超の死因は急死?それとも蜀に馴染めなかった?死因を考察




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ボロボロになった馬超

 

歴史には、これから大活躍という時に寿命を迎えてしまう残念な人物が少なくありません。三国志においても、曹操(そうそう)さえ追い詰めた経歴を持ちながら蜀に投降した後は、特に目立つ手柄もなく病死してしまう馬超(ばちょう)という人物がいます。

 

実は、あまりよく分かっていない馬超の死因は一体何だったのでしょうか?




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五虎大将軍の馬超

 

馬超は涼州軍閥(りょうしゅうぐんばつ)で名門の末裔馬騰(ばとう)の息子であり後継者です。しかし、曹操が関中を直接支配しようと馬騰と一族200名余りを(ぎょう)に移動させると、馬超が関中軍閥を率いるようになります。その後、曹操が漢中の独立勢力張魯(ちょうろ)を攻撃すると明日は我が身と疑心暗鬼になった馬超が関中の独立を維持しようと謀反。

 

蜀馬に乗って戦場を駆け抜ける馬超

 

西暦211年、潼関(どうかん)で曹操と戦い騎兵で追い詰めたりしますが結局敗れ去り、おまけに叛いた見せしめに馬騰以下一族が皆殺しにされてしまいました。

 

その後も馬超は、しぶとく蜂起したり張魯を頼ったりしますがジリ貧になり西暦214年に成都の劉璋(りゅうしょう)を包囲していた劉備(りゅうび)に降伏、その配下になります。西暦221年、劉備は漢中王になると馬超を驃騎将軍に任じて涼州牧とし、

 

蜀の皇帝に即位した劉備

 

「異民族に勇名轟く馬超君をこれからも頼りにしているよ!

吼える虎のような武勇で悪党どもを征伐し民百姓を救い、漢の天下を取り戻してね!」

 

みたいな賛辞を掛けて激励したのも束の間、翌年に馬超は47歳で死んでしまうのです。61歳の劉備より14歳も若い馬超の死は蜀に取って痛恨であり、

 

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でした。

 

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馬超は急死っぽい

周瑜、孔明、劉備、曹操 それぞれの列伝・正史三国志(本)

 

正史三国志では、死因などは説明されずに、○○歳で卒と締めくくられる人物は多いですが、馬超も多聞に漏れず、劉備に驃騎将軍に任命されたという記述の次には47歳で没したという記述があります。

 

しかし、馬超が長患いをしているなら、劉備も負担を掛けるような驃騎将軍への任命は、病気が回復するまで伸ばすのではないでしょうか?

 

そこから考えると馬超は突然死とはいかないまでも、かなり急激に病状が悪化して死んだのではないかと思えるのです。

 

馬岱

 

また、馬超は死に臨んで劉備に遺言を残し、家督を従弟の馬岱(ばたい)に継がせるように言っているので、やはり突然死ではなく、急に病が重くなり、覚悟を決めて慌ただしく馬岱に家督を継がせて亡くなったと考えられますね。

 

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【蜀のマイナー武将列伝】
蜀のマイナー武将列伝

 

馬超の死因:心因性ストレス

馬超と韓遂

 

もし急死でないとすれば、長年のストレスが積もり積もった可能性もあります。馬超は遺言でも、曹操に一族をことごとく殺された事を書いているので、自分の軽率な行動で馬氏が滅亡の危機に瀕している事を気に病んで体調を悪化させたとも考えられます。馬超は蜀に親しい友人もいなさそうなので、ストレスを軽減させる事も出来なかったんでしょうね。

 

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馬超の死因:環境に馴染めなかった

蜀では結果が出せない馬超

 

中国は日本の10倍以上の国土があり、国内と言えども州が違えば生活習慣や食べるものまで変わってしまいます。例えば荊州(けいしゅう)は北方の州の人々には疫病の州だと恐れられていて、赤壁(せきへき)では実際に曹操軍が疫病の流行で敗北しました。

 

病気になった兵士

 

現在でも、海外旅行で現地の水を飲んで激しい下痢になって、病院のお世話になる人の話は時々聞きますよね。このようなケースは荊州に限らないと考えられ、涼州から益州(えきしゅう)に移動した馬超も習慣や食生活に馴染めず、体調を崩してしまい急死してしまったわけです。

 

劉備と的盧

 

そうだとすると、幽州(ゆうしゅう)に生まれ中国各地を転戦しながら病気エピソードがない劉備は、相当頑丈な人だったんでしょうね。

 

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