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case3:献帝と取り替えたら董卓にちやほやされる
献帝こと劉協殿とのとりかへばやはどうでしょう?
董卓に保護され、曹操に保護され……となる孫権は、ちょっと見てみたくもあります。何気に家族を失い、後ろ盾を失い、という経緯は似ている二人です。
ただ劉協に関して、実は優秀だったというのが董卓との受け答えくらいしか逸話がなく、どんな人物だったのか分かりにくいというのがネックでしょうか。何気に嫁にやってきた曹丕の妹がお兄ちゃんに真っ向から反抗するほど入れ込んでいるので、人間的魅力は高いように思います。むしろこう考えると献帝の活躍をもっと見てみたかったですね。
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晩年に我慢が効かなくなった孫権
以前、読者の方々のアンケートで「孫権は素直さが一番の魅力(意訳)」という意見がありました。事実、孫権はたくさんの家臣に囲まれ、彼らの意見に度々耳を傾け、時にアドバイスをして、失敗があれば反省して……と、決してワンマンな暴君ではないのです。
しかし晩年にはこの素直さが欠け、大きな失態から国力を減退させてしまいました。むしろ孫権に欠けていたのは個人の能力ではなく、劉備の法正、曹操の賈クのような、上手に導ける存在だったのかもしれません。そしてそういう存在がいなくなった時こそ、一つの国の終焉がくるのかも……なんて。
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三国志ライター センのひとりごと
何だかんだ言ってしまいましたが、孫権は間違いなく三国志の英雄の一人だと思います。多くの人々助けあってこそとは言え、孫権は家を守り、呉と言う大国を作り上げました。ただその大国を作り上げたのも孫権ならば、衰退のきっかけを作ったのも、哀しいながら孫権でもあるのです。
「この家を大きくするのはあの子ですが、この家を潰すのもまたあの子でしょう」
そう自分の息子を評したのは一体誰だったか。
ふと思い出した筆者でした。
ちゃぷり。
参考文献:呉書呉主伝 晋書列伝第19
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