三国志と三国志演義で登場人物の死因が変わる?その背景を考察

2022年5月7日


 

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三国志演義の作家 羅貫中

 

三国志(さんごくし)三国志演義(さんごくしえんぎ)には違いがたくさんあります。というのも、そもそも三国志とは歴史を記録したものであり、三国志演義は庶民や多くの人々に親しまれた物語と言う形式なので、違いが出るのは当然とも言えましょう。

 

憤死する麋竺(モブ)

 

そしてこの「違い」にも色々ありますが、今回注目して見たいのは「死因」の違いです。死因の違いについて、そしてどうして死因が違うのか、その辺りに注視していこうと思います。

 

 

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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病死や刑死戦死などの死因

過労死する諸葛孔明

 

さて死因とは、死んだ原因のことです。まあそのまま、文字の通りの意味ですね。この死因についても三国志では色々ジャンルがありまして、病死だったり、討ち死に、つまり戦死だったりと様々です。

 

呂布に暗殺される董卓

 

また珍しい例ですが、暗殺での死や処刑での刑死もありますね。暗殺では有名な所で董卓(とうたく)が、刑死では呂布(りょふ)や、関羽(かんう)も刑死に当たります。

 

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三国志演義では戦死が多くなる

甘寧を弓で討ち取る沙摩柯

 

全ての統計を取った訳ではなく申し訳ないのですが、個人的な印象では三国志では病死、三国志演義では戦死のイメージが強いですね。このイメージの要因として、「三国志では病死の人物が、三国志演義では戦死とされているパターンが多い」というのが理由に挙げられます。

 

もちろん全ての人物の病死が戦死になっている訳ではなく、フェードアウトしていたりしている人物も正史、演義を問わずたくさんいるのも現状です。

 

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張遼は正史三国志では病死した

愛馬に乗る張遼

 

一例として、正史では病死、三国志演義では戦死となっている人物として、みんな大好き。孫権はトラウマの張遼を挙げてみましょうか。

 

張遼の猛攻に泣きながら逃げる孫権

 

張遼(ちょうりょう)は正史では病死しています。病死の前にも病身を押して出陣、孫権(そんけん)に「張遼病むとも当たるべからず」、という張遼が病気だと言っても油断するなよという内容の話をしているので、この時点でかなり無理をしていたのでしょう。

 

そのまま江都(こうと)で病死し、曹丕(そうひ)は涙を流してその死を悼みました。この流れは三国志演義では採用されず、張遼は戦死しています。

 

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演義では曹丕をかばって死ぬ張遼

北方謙三風ハードボイルドな曹丕

 

三国志演義での張遼の戦死は「曹丕をかばって伏兵の矢を受けての戦死」となっています。こういった病死から戦死への流れとして、一つの理由として考えられるのが「物語としてのドラマ性」でしょうか。

 

つまり病死よりも、華々しい戦死、張遼の場合であるならば皇帝となった曹丕をかばっての戦死、言わば「主君をその身をもって災いから守っての死」となります。戦死したことが分かりやすく、しかも物語の1ページとしての美しさを優先した結果、と言えるでしょうね。

 

曹洪と曹操

 

まあ正史の張遼の病死も決してドラマチックではないことはないとは思いますが……そこは時代として、物語のジャンルとして楽しまれる最期、という理由があったのかもしれません。

 

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はじ三倶楽部

 

 

周瑜も病死から憤死へ変更

朝まで三国志2017追加22 周瑜

 

さて死因の違いとしてもう一つ触れておきたいのが、憤死の流れ。ここで思い出して欲しいのが三国志演義の周瑜(しゅうゆ)の最期です。

 

周瑜と陸遜

 

三国志演義の周瑜は呉の提督として素晴らしく優秀な存在であるのに、何だかんだ魯粛(ろしゅく)をいじめたり、どうしても諸葛亮(しょかつりょう)には敵わない、という存在として描かれてしまっています。それを決定付けるのがその最期、正史では病死であるのに、三国志演義では散々諸葛亮に煽られての憤死となっています。

 

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両親の持っていた横山光輝の「三国志」から三国志に興味を持ち、 そこから正史を読み漁ってその前後の年代も読むようになっていく。 中国歴史だけでなく日本史、世界史も好き。 神話も好きでインド神話とメソポタミア神話から古代シュメール人の生活にも興味が出てきた。 好きな歴史人物: 張遼、龐統、司馬徽、立花道雪、その他にもたくさん 何か一言: 歴史は食事、神話はおやつ、文字は飲み物

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