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劉備や孔明との強さ補正で憤死した周瑜
ここで振り返って欲しいのが、三国志演義は「物語である」ということ。三国志演義は主に最初は劉備が、後半は諸葛亮が、それぞれ主人公に据えられたように進んでいきます。その上で周瑜を正史ベースそのままで出すと、イケメンで風采が良く頭脳明晰で度量が広く王佐の才もあり……と、諸葛亮の存在感を完全に奪いかねません。
またこんな人物がいきなり病死するというのもちょっと見所に欠ける……ということで憤死にされたのではないでしょうか。あくまでストーリーとドラマ性を優先した結果、死因の変更がなされている。それが正史三国志と三国志演義の死因の違いに出ていると思います。
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夷陵で死んだ馬良は演義では生存するが使い道がなく病死扱い
ただ一つ物申したいのが、白眉・馬良。正史において馬良は夷陵の戦いで戦死します。にも関わらず、三国志演義では生き残ります。ここから白眉の伝説が始まるかと思いきや、諸葛亮の南蛮平定でいきなり馬謖が「兄は病死しました」と告げられて終了。どうして!だったら壮絶に戦死させておけばよかったでしょ!まさか忘れてたの!?
というちょっと筆者取り乱しの一幕が起こります。個人的には馬良をこれから活躍させようと思ったけど、やっぱり何だかんだ使いにくいように感じてここで思い出したように病死させたのでは……と筆者は思うのですが、どうですかね。
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三国志ライター センのひとりごと
正史三国志と三国志演義の死因の違いは色々とありますが、多くは物語としての、ストーリーとしての面白さや場面の華やかさを追求したものであると感じています。
黄忠の最期とかも、劉備に惜しまれての最期と考えると筆者から黄忠への献花、とも言えるかもしれません。その最期には物申したいものもありますが、その死因の違いに注目して見るのもたまには面白いよ。たまには腑に落ちないよ!ということをお伝えしたい筆者でした。
どぼん。
参考文献:魏書張遼伝 呉書周瑜伝 蜀書馬良伝 馬謖伝
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