老武将黄忠の活躍を見ていくと沸き上がる疑問点と考察

2020年4月20日

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kawauso編集長(石原 昌光)

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kawauso編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務めるほか、紙媒体やWebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者・おとぼけ(田畑 雄貴)

コンテンツ制作責任者

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月に「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感していただけることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。

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弓の名人・黄忠

 

黄忠(こうちゅう)といえば三国志では知らない人はいない、老いてますます盛んな老武将。三国志演義では五虎将軍(ごこしょうぐん)の一人にも迎えられて、関羽(かんう)との一騎打ちなど活躍が多い武将でもあります。しかしそんな黄忠は正史三国志(せいしさんごくし)ではどのように活躍したのでしょうか?

 

献帝(はてな)

 

実はそれを見ていくといくつかのポイントで疑問点が浮き彫りになるのです。今回はその黄忠の疑問点を見ていきつつ、考察をしてみましょう。

 

自称・皇帝
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正史三国志での黄忠

五虎大将軍の黄忠

 

黄忠は荊州(けいしゅう)南陽郡(なんようぐん)の人であり、劉表(りゅうひょう)配下では長沙(ちょうさ)の守備に置かれていました。劉表の死後は韓玄(かんげん
)
の配下となり、そのまま長沙に置かれていましたが、劉備(りゅうび)の荊州平定後劉備の配下に迎え入れられます。その後、益州(えきしゅう
)
攻略で三軍筆頭の活躍を見せました。

 

戦場で尊敬される黄忠

 

また定軍山(ていぐんざん)での活躍は三国志演義でも有名であり、夏侯淵(かこうえん)と同じく征西将軍(せいせいしょうぐん)となります。

蜀志(蜀書)_書類

 

しかし黄忠の活躍、というよりも記載は正史では少なく、これ以後は後将軍になるも亡くなり、息子がいたそうですがこちらも早逝(そうせい)して家は断絶したようなのが残念なところです。

 

三国志演義での黄忠

黄忠の様子を見に行く趙雲

 

一方三国志演義での黄忠はかなり描写が増えています。特に弓の名手であることが描写されていて、長沙(ちょうさ)攻略時に関羽との一騎打ちや、弓の腕を見せつけて関羽を驚かせるなどの描写から黄忠のファンになった人も少なくはないのではないでしょうか。

 

亡くなる黄忠

 

またその最期も違いがあり、正史では夷陵(いりょう)の戦いよりも前に病死していますが、三国志演義では夷陵の戦いの戦いに参戦して奮戦虚しく敵の弓が原因で死亡するも、主君である劉備に看取られる最期となっています。

 

老武将

三国志演義_書類

 

さて黄忠と言えば老将、老いてなお盛んの代名詞。このイメージは三国志演義でのもので、三国志演義では老将であることが強調されています。一つ目は関羽が五虎将軍に任命される時に「黄忠は老兵」と言って、その黄忠と自分を並べるのかと怒るんですね。

 

頑固ジジイで戦場に出たい黄忠

 

もう一つは黄忠の死因とも言える夷陵の戦いでの劉備の「新しい兵が育っているから老兵は不要」と言われて無茶をして戦死、というもの。しかしこれらはあくまで三国志演義のお話です。

 

三国志演義に生まれた違和感

文句を手紙に書く関羽

 

因みに正史三国志でも前将軍(ぜんしょうぐん)任命時に関羽が老将であることを理由に怒って費詩(ひし)(なだ)められていますが、そもそも正史三国志では黄忠と関羽の打ち合いはないので諸葛亮(しょかつりょう)も「関羽は黄忠の働きを見ていないから」と言われるように納得もできる話になっています。

 

激怒する関羽

 

しかし三国志演義ではこの話の前に一騎打ちの話などが入ることもあり、関羽がいきなり「老兵と並べるな!」と激怒するのでちょっと話に違和感があるのは否めませんね。しかしこの「老兵」と言われる黄忠、実際にはいくつくらいなんでしょうか?

 

黄忠の年齢の不思議

黄忠

 

三国志演義では黄忠は60を過ぎているとされていますが、正史では黄忠の正確な年齢が出てきません。ただし関羽が「老兵」と言った時を考えると、この時の関羽がだいたい50半ばを超えているので60は過ぎていると思われますが、それはそれで問題が出ます。

 

関羽の青銅像

 

というのも「老兵」と言っている関羽もあまり年齢変わらないじゃないか!ということですね。そもそも中国において「老」という文字はあまり悪い意味ではなく、年上に使うニュアンスだったり、尊敬にも使ったりするからです。

問題になった意味

蜀の皇帝に即位した劉備

 

そこでちょっと調べてみると、沸き上がった疑問点。実は関羽や劉備が黄忠に対していった「老兵」という言葉。ここで目が行くのは老、年寄りという意味に見えますが、実際に問題なのは兵、という文字の方。

 

ポイント解説をするセン様

 

ここで言う兵は一般兵、つまり役職のない、将軍ではない人物と言う意味ではないかと思うのです。そう考えるとこれは今まで勲功(くんこう)を立てている黄忠への蔑称(べっしょう
)
とも取れるので、関羽の傲慢さ、劉備の軽率な発言を表していることになると思うのですが、どうでしょうか?

 

黄忠の最期~横山三国志~

三国志を楽しく語るセン様

 

最期にちょっとだけ筆者の黄忠の思い出を。筆者は横山三国志から三国志の世界に飛び込んだので、黄忠のイメージと言えば横山三国志です。横山三国志での黄忠は時に無謀にも思えるように勇ましく戦いに赴き、先陣を切り、手柄を上げて五虎将軍にも迎え入れられます。

 

劉備軍で出世する魏延と黄忠

 

正史でも長沙での記述がないように、もしかしたら黄忠は劉備の下で初めて評価され、奮戦したのかもしれません。その劉備に不要とされた黄忠は無謀な戦に望み、最期を迎えます。

 

「陛下のような方にお仕えできたこと、生涯にこれほどの幸せはありません」

 

最期に劉備に伝える黄忠の言葉は、実際に黄忠が思っていたことなのかもしれませんね。

 

三国志ライター センのひとりごと

三国志ライター セン

 

今回は黄忠に付いて少し振り返って考察してみました。黄忠は中盤から出てくる武将ですが、それでもその活躍、最期も相まって印象深い武将の一人です。特に前述したように横山三国志の黄忠は一見の価値ありですから、まだ見た子ことがない人はぜひ横山三国志、黄忠をよろしくお願いいたします!布教!

 

参考文献:蜀書黄忠伝 関羽伝

 

関連記事:老将黄忠の活躍に関羽も嫉妬?生涯現役を貫いた猛将を考察

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夷陵の戦い

 

 

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両親の持っていた横山光輝の「三国志」から三国志に興味を持ち、 そこから正史を読み漁ってその前後の年代も読むようになっていく。 中国歴史だけでなく日本史、世界史も好き。 神話も好きでインド神話とメソポタミア神話から古代シュメール人の生活にも興味が出てきた。 好きな歴史人物: 張遼、龐統、司馬徽、立花道雪、その他にもたくさん 何か一言: 歴史は食事、神話はおやつ、文字は飲み物

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