黄忠を魏呉のじいちゃん武将とトレードしたらこうなった「三国志とりかへばや物語」

2022年4月7日


 

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三国志を語るセンさん

 

平安の昔、さる左大臣の家に内気な男の子と活発な女の子がいました。左大臣は二人の性格が逆だったらよかったのにと思い、思い切って男の子を女の子として女の子を男の子として育てます。

 

そんな昔話から生まれた、筆者は考えていてとても楽しい三国志(さんごくし)とりかへばや物語。今回は老将、しかし老いてますます盛んと言えばこの人、黄忠(こうちゅう)将軍です!

 

実は筆者は三国志演義(さんごくしえんぎ)横山三国志(よこやまさんごくし)から三国志の世界にどぼんダイブしたので、黄忠はこの横山三国志のイメージが強く、めっちゃカッコ良くて渋くてイケメンお爺ちゃんのイメージが強いのです。

 

弓の名人・黄忠

 

そんな黄忠を魏呉の武将と、とりかへばやするならどうなる?ではいってみましょう!

 

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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黄忠は長沙の韓玄配下

 

 

黄忠は劉備(りゅうび)の配下となる前は、荊州(けいしゅう)長沙(ちょうさ)にいました。つまり元々は劉表(りゅうひょう)の配下だったようです。

 

曹操に立ち向かう劉備と孫権

 

荊州は劉表亡き後は曹操(そうそう)に降伏し、この時に不思議と人材ハンター曹操の目には止まらなかったのか、黄忠はそのまま長沙太守となった韓玄(かんげん)の配下となり、長く長沙を守る任務を続けることになります。そして劉備が荊州を平定した後には劉備の武将の一人となり、活躍していくのです。

 

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魏延特集

 

 

 



老人だけど夏侯淵討ち取る

三国志の武器 床弩 黄忠

 

そんな黄忠の最大の活躍と言えば、夏侯淵(かこうえん)の討ち取りです。夏侯淵を討ち取って漢中(かんちゅう)を得たことで劉備は大喜び、その功績を称えて征西将軍となりました。

 

法正に敗れる夏侯淵

 

そうして漢中王になった劉備は更に黄忠を後将軍にしようとするのですが、ここで諸葛亮(しょかつりょう)からストップが。「関羽(かんう)殿は黄忠殿の活躍を知りませんから、納得しませんよ」

 

黄忠と同列になることにくキレる関羽

 

と言うも劉備はちゃんと関羽の説得するから!と言って黄忠を後将軍に。この後劉備が説得したのかどうかは分からないけれど、やっぱり関羽が黄忠を老兵と言って怒るので諸葛亮の心配は正しかったんですね(説得したのは()イ)。

 

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趙雲

 

 

三国志演義での活躍が派手

三国志演義_書類

 

そんな黄忠ですが、趙雲(ちょううん)と同じように三国志演義の方が活躍シーンが多いのが実情です。そんな中でも特に黄忠がクローズアップされているのが、夷陵(いりょう)の戦い。

 

正史ではそれ以前に病死しているのですが、三国志演義では参加、劉備に老兵と言われて奮起、無理をして馬忠(ばちゅう)に射られてその傷が元で死亡、という流れになっています。

 

亡くなる黄忠

 

ただこの時に劉備に看取られていることを考えると、三国志演義の中でも破格の待遇を受けている武将と言えるでしょう。さてではその黄忠のとりかへばや、いってみましょうか!

 

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三国志とりかへばや物語

 

 

 

case1:魏の暴走老人程昱とトレード

程昱(ていいく)

 

魏のお爺ちゃんと言えば程昱(ていいく)、黄忠と程昱のとりかへばやはいかがでしょうか?

 

戦い方法は違えど黄忠は黄忠で武働きをして、史実ではなかった曹操の目に留まって引き立てられる可能性は大有りだと思います。程昱も程昱で蜀の足りない部分を補う良いお爺ちゃんとして迎え入れられるでしょう。(むし)ろ、龐統(ほうとう)法正(ほうせい)と人手が足りない諸葛亮の良い手助けとなるかもしれませんね。

 

頑固ジジイで戦場に出たい黄忠

 

両方ともちょっと頑固な部分もありますが、自分を(わきま)えられる人物でもあるので立ち位置は違えど良い働きをしてくれる立ち位置になると思います。

 

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夷陵の戦い

 

 

case2:呉のハリキリ老将 黄蓋とトレード

山越族から信服される黄蓋

 

呉のお爺ちゃんは結構いるのですが……個人的にとりかへばやは黄蓋(こうがい)です!

 

黄蓋も古くから孫堅(そんけん)に仕え、孫権(そんけん)を支え、赤壁(せきへき)でも裏方で大活躍をした人物。黄忠も長く荊州を支えた人物ですし、周瑜(しゅうゆ)とも結構上手くやれるのでは?

 

ポイントなのが、三国志演義では黄忠は馬忠(ばちゅう)にやられて死亡、何気に黄蓋も赤壁で張遼(ちょうりょう)に撃たれて負傷、と弓に関わることが多いこともとりかへばやを考えてみたきっかけの一つでもあります。

 

黄蓋、赤壁の戦いでうっかり河ポチャ

 

弓矢にだけは気を付けてね!

 

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両親の持っていた横山光輝の「三国志」から三国志に興味を持ち、 そこから正史を読み漁ってその前後の年代も読むようになっていく。 中国歴史だけでなく日本史、世界史も好き。 神話も好きでインド神話とメソポタミア神話から古代シュメール人の生活にも興味が出てきた。 好きな歴史人物: 張遼、龐統、司馬徽、立花道雪、その他にもたくさん 何か一言: 歴史は食事、神話はおやつ、文字は飲み物

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