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郭援はホウ徳に討取られる
ここに叔父と甥が対峙します。しかし郭援の性格は叔父である鍾繇の言った通りでした。郭援は曹操軍を侮り、河を渡ろうとします。側近が何を言っても聞き入れませんでした。
そうして半分も渡り切らない内に鍾ヨウが率いる曹操軍の猛攻撃に合い、郭援は馬超の足に怪我を負わせるも、ホウ徳によって討ち取られてしまったのでした。
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甥の死に号泣する鍾繇
ホウ徳は郭援を討ち取ると、その首を取って鍾繇の元に戻ります。そうして討ち取った証明として郭援の首を鍾繇に見せると、甥の首を見た鍾繇、大きな声を上げて泣きだしました。実はホウ徳、鍾繇と郭援が叔父と甥の関係にあるとは知らなかったのです。
驚いて謝罪をしようとしたホウ徳に、
「郭援は甥であるが、国賊だ。貴方が謝る必要などない」と答えた鍾繇。
乱世の一幕と言えど、こういった血族での争いとその顛末を見ると、もの悲しさがありますね。個人的には鍾繇の人柄が感じられて、結構好きな場面でもありますが。
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三国志ライター センのひとりごと
最後にちょっと余計な作者の感想を。この場面、ホウ徳はただ派遣され、それに見合った活躍をして、敵を討ち取り、それを報告しただけです。そもそもとしてホウ徳は鍾ヨウと郭援の関係を知らなかったので、落ち度はないでしょう。
しかし鍾ヨウが泣き出したので、律義に謝罪しています。そこに「ホウ徳良い人だなー……」と感じる筆者でした。
どぼーん。
参考文献:魏書鍾ヨウ伝 ホウ徳伝 賈逵伝
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