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裴松之が孫休のネーミングにブチ切れ
これにブチ切れたのが裴松之先生です。
「名前がかぶってるのが嫌なら名前つけるなよ」
「こんなんしてるから自分が死んだ後に妻子が殺されるんだ」
という、先生、後世の人間がそれ言っちゃダメ!というようなことを言っています。とは言え、これはある種、現代のキラキラネームにどこか通じるものがあるのかもしれません。また孫休のやったこともまた、極端が過ぎたと思います。
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人間は名前だけじゃありません
孫休は生まれながらの特徴を例として挙げていますが、それとは別に、例えば今まで色々な勉強に親しんでこなかったから浅学である、という者もいるでしょう。しかしそうであっても、変えられるものは変えられるものです。
「呉下の阿蒙に非ず」
そもそも呂蒙のもうという字は「蒙昧」、つまり愚かや無知、という意味が有ります。
その名を子供にどうして付けたのかは分かりませんが、謙遜して蒙、と名乗ることもあることを踏まえると、親は決して愚かであるからこのように名を付けた訳ではないでしょう。
何よりも呂蒙はその行動で呉に一つの道を開きました。孫休はその経緯を忘れてしまったのでしょうか。ともあれ孫休のこの振る舞い、どうもはっちゃけたようなエピソード。ふと、紹介したくなった次第でございます。
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三国志ライター センのひとりごと
何事も、珍らしき事を求め、異説を好むは、浅才の人の必ずある事なりとぞ。これは徒然草の一説で「珍しいことばかりして他人と変わったことをするのは、勉強の足りない人が必ずすること」という、耳が痛くなるような一説です。
孫休は勉学にのめり込んでいた、しかしそれを陳寿に「勉強を好んだといっても国の役には立たなかった」と痛烈に批判されています。このエピソードを見るたびに、自分も色々な面で、それこそ名付でなくても……気を付けて身を振り返るようにしなくてはならないな、そんな風に思いながら。
今日もまた 筆者飛び込む 沼の中 ちゃぽぽぽん。
(お目汚し失礼致しました)
参考文献:呉書 三嗣主伝 孫休
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