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関羽を討った呂蒙は能力はあったの?本当に有能だったのか?

2021年8月10日


 

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呂蒙

 

呉の武将呂蒙(りょもう)と言えば、なんといっても関羽(かんう)を討った男として有名ですね。

 

関羽の呪いで殺される呂蒙

 

関羽は三国志ではかなり人気のある武将ですから、関羽を討ったことで呂蒙の評価はマチマチです。しかし、呂蒙は間違いなく数々の功績を残した名将でした。

 

今回の記事ではその呂蒙の能力について探ってみたいと思います。

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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呂蒙の能力1 戦闘力

貧乏だった若き呂蒙

 

呂蒙は貧しい家に生まれました。

 

呉の勢力を率いる孫策

 

しかし、親戚が孫策(そんさく)軍の武将として従軍しており、呂蒙はチャンスを求めてその軍についていったのです。

 

字が読めなくてバカにされる呂蒙

 

呂蒙はろくに学問をせず軍隊に入ったため、字も書けず、教養もありませんでした。

 

呂蒙

 

そんなある日、役人の1人が呂蒙が年少であることを馬鹿にしたのです。それに呂蒙は激怒。なんとその相手を斬り殺してしまうのです!

 

策略が得意な呂蒙

 

その為度胸と、剣の腕には相当な自信があったと考えられます。呂蒙は自首し、孫策の前に引き出されますが、なんとそこで孫策に才能を認められ、仕官することになるのです。

 

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呂蒙の能力2 演出力

孫策の人生に一辺の悔い無し

 

孫策が亡くなり、孫権(そんけん)が跡を継いだ際、彼は軍隊の整理(リストラ)を考えました。そこで呂蒙は兵士たちを守ろうとある演出をしたのです。

 

孫権に気に入られる孫峻

 

呂蒙は兵士に揃いの赤い服装を着させ、孫権が見る閲兵式(えっぺいしき)に臨んだのです。孫権はその見事さに驚き、呂蒙の軍の兵士を増やしたといいます。

 

呂蒙のお見舞いにかけつける陸遜

 

また、関羽を討つ際、病気を装い、彼を油断させることにも成功しています。これらの事から、呂蒙の演出能力はかなりのものだったと考えられます。

 

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関羽

 

呂蒙の能力3 知力

孫権から学問を身に着けろと言われる呂蒙

 

前述の通り呂蒙は学がありませんでした。戦で功績はあげていたため、本人は気にしてはいないようでしたが、ある日、孫権に「もっと学問をして見識を深めるべきだ」と言われたのです。

 

勉強する呂蒙

 

本人は忙しさを理由に固辞していましたが、「俺も勉強したんだから、お前もやれ」と言われ勉学に励んだのです。するとのちには学者が驚くほどの学識を得ていたといいます。

 

勉強に励んで文字も読めて賢くなる呂蒙

 

ある日魯粛(ろしゅく)が呂蒙を訪問しました。魯粛は呂蒙の事を馬鹿にしていましたが、その見識に驚き、「もう呉の国(呉下(ごか))の蒙ちゃん(阿蒙(あもう))とは言えないな!」と言ったそうです。

 

指揮を取る呂蒙

 

これが「呉下の阿蒙」という故事のいわれです。このように初めは無学でしたが、勉学はみるみる身についたことからかなりの知力があったと考えられます。

 

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みうらひろし

みうらひろし

歴史が好きになったきっかけはテレビの再放送で観た人形劇の三国志でした。そこから歴史、時代小説にはまり現在に至ります。日本史ももちろん好きですよ。推しの小説家は伊東潤さんと北方謙三さん。 好きな歴史人物: 呂蒙、鄧艾、長宗我部盛親 何か一言: 中国で三国志グッツを買おうとしたら「これは日本人しか買わないよ!」と(日本語で)言われたのが思い出です。

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