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別々の列伝に入れられる二張
前述したように、江東の二張と呼ばれたのは三国志演義です。しかし後世において、同じ張という姓もあって、張紘と張昭はおじいちゃん同士で良く扱われることが多い人物です。
が、実は呉の伝を見てみると面白いことに、彼らは同じ巻には立伝されていないのです。
孫策に仕えたのも、時代的にも同じ、また孫権を諫める役回りと後世においては似ていると思われる二人ですが、当時はそうでもなかったようですね。
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張紘は厳畯や闞沢、薛綜と一緒
因みに張紘は厳畯・闞沢・程秉・薛綜張昭は顧雍・諸葛瑾・歩隲と言った面子と一緒に立伝されています。これを見る限りでは張紘の立ち位置は政治家、張昭は軍事関連の人たちと一緒にされています。
現代から見ると彼らの立ち回りは非常に良く似ていると思ってしまいますが、当時の印象としては立ち位置はまた別の人たちだったのでしょうか。こう見るとまた印象が変わって面白い、三国志の世界ってどんどん広がるなあ、なんて思う筆者でした。
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三国志ライター センのひとりごと
例えば魏の五将軍。例えば蜀の五虎将軍。何となく立伝された人たちは同じような立場だったように思いますが、イメージからすると同じ巻に立伝されそうな張紘、張昭は別。
改めてみると面白いものです。こうなると他の人たちがどういった人たちと立伝しているのか確かめて、その人たちを見直して、調べ直して……と、一昼夜では終わりません。皆さんもこの広がっていく三国志沼、ぜひご一緒に飛び込みましょう。
どぼん!
参考文献:呉書張紘伝
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