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牛金、司馬懿に毒酒を飲まされ死亡
そうと決まれば兵は神速を貴ぶ、司馬懿は行動を素早く行います。ある日、司馬懿は牛金を招きました。この時点で司馬懿は何度も牛金と共に従軍していましたから、そこまでおかしいものではありません。
そして二つの杯を用意し、酒を注ぎます。片方を司馬懿は先に飲み、牛金を安堵させて彼にも杯を乾するように勧めました。もちろん油断させておいてこちらは毒入り、牛金はこうして暗殺されてしまったのです。司馬懿はこれで、と安堵したことでしょう……。
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東晋皇帝の母を寝取っていた牛金
その後、司馬家は(まあ割と?)長く栄華を誇ります。これも牛金を暗殺していたからこそ。そうしてある日、司馬懿のひ孫、司馬キンの妻が子を産みます。そして生まれたのが元帝・司馬エイ。
しかし晋書元帝紀にはこの妻は「牛氏と密通して子を産んだ」とあります。牛氏とは、もう皆さんお分かりでしょう。そう、実は生きていた牛金のことだったのです!!!
毒も聞かぬとはもしや牛金は天上人だったのではないでしょうか!?
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ごめん全部妄想です
さてネタばらし、というかそろそろ真面目に話しましょう。
魏書列伝第八十四 僭晋司馬叡には「司馬キンの妃と牛金の密通で司馬エイが生まれた(だから司馬懿は牛金を毒殺しました)」とありますが、生まれたのは276年のことですし、曹仁の頃から従軍していたなら牛金もかなりの年齢ですし、そもそも司馬懿は251年に崩御しているからほぼ有り得ないと言って良いでしょう。
もしあったとしても同姓同名の別人であることでしょう。なので司馬懿の牛金毒殺に関しても、個人的にはなかったんじゃないかなーとは思います。ただ想像して見ると何だか面白かったので、ご紹介させて頂いた次第です。
牛金の謎について、どうぞよろしくお願いします。
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三国志ライター センのひとりごと
さて今回はとてもとてもふざけさせて頂きました。ですがそういう想像もまた楽しいもので、また想像を現実的に考えて自分で打ち消すのもまた楽しくありました。たまにはこんな妄想178%な三国志もいいでしょ?ということで。
皆さんもよろしければ、想像濃度を高めた三国志、教えては頂けませんか?
きっと皆で考えたら、楽しいものになろと思いますよ!
どぼん!
参考文献:魏書曹仁伝 晋書宣帝本紀 元帝紀 魏書列伝第八十四 僭晋司馬叡
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