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諸葛瑾は息子が家を潰すかも?と心配した
その息子の様を見て、諸葛瑾はある日、諸葛恪の才能を褒める人にこう言いました。
「息子は確かに賢い、しかし賢すぎるのです」
「この家を栄えさせるのは息子でしょう。しかし、この家を潰すのもまたあの子でしょう」
かくして諸葛恪は、ある種その才覚と性格で、その身を亡ぼすこととなりました。なお、叔父の諸葛亮も「恪みたいないい加減な奴に役職任せて大丈夫なん?(意訳)」と言っています。
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劉備も諸葛瑾も苦労したせいで人を見る目があった
さて劉備が蜀を治めるまでに土地を持たず、各地を放浪して苦労したことは皆さんご存知の通り。諸葛瑾もまた、父を早くに亡くし、叔父に引き取られ、その叔父も亡くなって、最終的に戦火を逃れた先で孫権に見出され……と中々苦労をしています。
劉備も諸葛瑾も、戦火の中を生き抜き、国を渡り、苦労を重ねた人物。そして彼らは共に、才気煥発な若者の危うさを見抜いた人物でもあります。
馬謖への評価、諸葛恪への評価。彼らの評価を並べてみると、不思議なことにどこか似通っているとも感じました。そんなほんのりした繋がりですが、どうしても紹介せざるを得ない筆者なのでした。
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三国志ライター センのひとりごと
諸葛恪への諸葛亮の評価を見ていると、どうにも「どうして馬謖には気付かなかったのか」と思わざるを得ません。これは他人だからこそ見抜いたのでしょうか。それとも馬謖可愛さに見抜けなかったのでしょうか。決して馬謖が無能だったとは思いません。
それでも劉備が気付いたように、諸葛瑾が諸葛恪に気付いたように、どこかに「危うさ」があったのでしょう。そんなところに歴史の面白さを感じる筆者のでした。
かぽーん。
参考文献:蜀書馬謖伝 呉書諸葛恪伝
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