報遺燕恵王書
報遺燕恵王書には楽毅の先王への深い忠誠、更に亡命の理由として自分が財人となることで自分を重用した先王が大締められることを恐れたということが記されており、これによって恵王は楽毅と和解したと言います。
そしてこの書には「真の君子は、友と絶交しても相手の悪口は言わず、忠臣は、国を捨てても我が身の潔白を弁解しない」とありますが、孟達が魏に降伏した際にはこれを引用していますね。
悪い言い方をすると孟達は、これを利用して劉備から誅殺することを逃れたのです。
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楽毅と孟達の違い
そもそもとして楽毅は「敵の罠に上司である恵王が嵌められて殺されそうになり、先王への忠節もあったため止む無く亡命した」ので、劉備から恨まれて立場が危うくなったから亡命した孟達とは大分話が違ってくると思うのですが……
ともあれ、楽毅を例に出されては劉備も何も言えなかったでしょう。ここで孟達の家族を誅したとあっては、恵王よりも度量の足りない君主となってしまいますね。孟達の策略勝ちと言えるかもしれません。
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では曹丕は孟達をについてどう思っていた?
さて曹丕は楽毅のような立場になった孟達を快く受け入れることで、君主としての度量が示せます。ここで孟達を厚遇してこそ、曹丕の器のデカさが引き立つという所でしょう。
しかし結局、庇護者である曹丕が早くに亡くなり、立場に不安を感じていた孟達は蜀に寝返ろうとした所を司馬懿に誅されます。そしてこの司馬懿、兼ねてより曹丕に孟達について重用しないようにと諫言していました。
もしかして曹丕にとって、孟達とは「自分の度量を示すためだけの存在」ではなかったのか?
曹丕が亡くなって立場も無くなる、その程度の扱いではなかったのか?
それこそ本当に寵愛していたならば、呉質のように相応の役職に据えたのではないか?
もしかしてもしかすると、自分の死後は然るべき扱いをされると、予想していたのではないか?曹丕の死後、孟達の余りの対応のグダグダっぷりと司馬懿の処断の早さを見ていて、そんな風に妄想してしまった筆者でした。
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三国志ライター センのひとりごと
孟達は劉備への対応を見ていると、中々の対応の上手さと機転の利きっぷりを感じさせます。しかし後に魏に渡って、曹丕に厚遇され……そこからの行動が、どうにも目に付くだけであって、最期はとても楽毅……楽毅と並べるのか……?と思うような人物だと思います。
どうして劉備の時はあそこまで上手く逃げた孟達が、魏ではそれができなかったかと言うと……もしかして曹丕に甘やかされ、鈍ってしまったんじゃないか?
そんな風に妄想してみましたが、どんなものでしょうか。
どぼん。
参考文献:蜀書劉封伝 魏略 魏書明帝紀
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