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自ら不興を買った劉備の下に逃げる不器用ぶり
自業自得と言うのは、やったことが自分に返ってくるということ。業も得も須らく自らに返ってくるということです。であるとして、業をマイナス要素として考えると、この時点で劉封は処罰対象です。許される要素がほぼありません。しかも弁解らしい弁解もなし。
確かにこれは陳寿先生の評した「対策をどうしてしなかったのか」というのは的確ですね。その点では自業自得とも言えます。
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忠義と親孝行を示すため、あえて何もしなかった?
ですが、そこで劉封が魏に、もしくは呉に逃亡していたらどうなったか。明確なのは「劉備への裏切り」でしょう。
劉封の身と、命は守られた。ですが、義父への忠、恩、孝、それらは汚されたも同然です。だからこそ劉封は明確な弁解もしないまま、劉備の元に戻った。
結果、死を賜った。養子の忠と孝に、劉備の返答は死と、涙で答えました。
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後継者ではない養子となった時劉封の命運は定まった
劉封の立場は、不安定な場所でした。劉備の養子ですが、実子はいて、後継者ではない。本人が優秀で、次代に残すには禍根の種となる。それを考えれば、命を守るためには「何か」を捨てる必要があったのでしょう。
ですが劉封はそれを捨てられなかった。捨てられなかったからこそ、破滅した。それは自業自得であり、そして自業自得と言い切るにはどうにも……苦々しい。批評するにはどうしても同情を捨てきれない、そんな感想しか出てこない、それが劉封ではないかと思います。
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三国志ライター センのひとりごと
振り返れば振り返るほど、難しいですね。三国志演義では養子になった瞬間から「後々揉め事になる」とか言われてしまう劉封ですが、こうして見てみると色々な意味で詰んでいるとしか言いようがありません。
劉封ってどうやれば生き延びられたんでしょうか……?(頭抱え)よろしければ皆さんも、劉封生き残りルートIF、考えて見て下さいね。
参考文献:蜀書「劉彭廖李劉魏楊伝」
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