野心家の孟達(もうたつ)が時代を変えた!三国志の歴史に残る裏切り劇

2016年6月4日

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kawauso編集長(石原 昌光)

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kawauso編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務めるほか、紙媒体やWebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者・おとぼけ(田畑 雄貴)

コンテンツ制作責任者

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月に「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感していただけることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。

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韓信 項羽

 

現代社会において、勤める会社や仕事を変える「転職」は何かしらのきっかけがあってやるものです。例えば、「今の仕事向いていないんじゃないかな」というように悶々と悩んだ挙句にする場合があります。また、一方では上司から「君この仕事向いていないんじゃないの?」と真顔で言われたり、ある日唐突に肩叩き、等々突発的に必要が生じる場合もあります。

 

青天の霹靂!決断をしなければならない分岐点

韓信 はじめての三国志

 

その時初めて、目の前に「転職」という選択肢が現われ、人は「分岐点」に立たされることになります。それらは「正解」はありません。それでいて「不正解」はあります。ここでいう「不正解」とは、生きていけなくなることです。とはいえ、水と安全はタダで買えるような日本では、選択を誤ったとしてもすぐに死に直面する事は滅多にありません。三国志の時代では、人の命を分ける分岐点は現代よりも遥かに多くありました。命令を忠実にこなせなかった、自身が招いた失敗が自軍に多くの損害を与えてしまった、仲間に失敗の責任を押し付けられた、大将の機嫌を損ねてしまった、上官に粗相をしてしまった、等の理由で、あっさりと打ち首にされることはいくらでもありました。自身の命がかかった選択を迫られた時に、正しく正解を導き出せる人はなかなかいないでしょう。三国志の時代で生き抜くには、そういう「分岐点で正しく選択できる才能」が必要とされていました。

 

まさに変化自在! 野心家 孟達(もうたつ)の分岐点 その1

張任と劉璋

 

孟達(もうたつ)は元々劉璋(りゅうしょう)の臣下でした。しかし、彼は野心家で王としての器の無い劉璋(りゅうしょう)は仕えるべき主ではないと考えておりました。孟達(もうたつ)は、法正(ほうせい)張松(ちょうしょう)とともに、劉備(りゅうび)を蜀に迎え入れようとしていました。彼は初めにこの現状を「分岐点」と見ました。頼りなく公正に内政を行えない劉璋(りゅうしょう)を見限らねば、自身の出世はあり得ないと考え、劉備(りゅうび)に降るという選択をしました。

陸遜 劉備

 

劉璋(りゅうしょう)から降った孟達(もうたつ)は、蜀の地理や内情にも詳しく、また彼自身の弁舌も優れておりました。劉備(りゅうび)の下でもその手腕を見込まれ、結果的に孟達(もうたつ)は宜都太守に任命されました。また、その後も劉備(りゅうび)の下で活躍することになります。

 

間一髪! 孟達(もうたつ)の分岐点 その2

関羽 死

 

孟達(もうたつ)はその後、劉備(りゅうび)の下で、劉封(りゅうほう)とともに上庸(じょうよう)を治めました。その時、樊城の戦いにて関羽(かんう)に援軍を出すよう求めましたが、孟達(もうたつ)は了解しませんでした。孟達(もうたつ)「まだここの治安も危うい。援軍に兵を割くことはできない。それにここにいる数千の兵だけで援軍に行っても何の意味も無いぞ。」劉封(りゅうほう)「しかし、関羽(かんう)殿は我が父の義兄弟、私の叔父にあたります。見殺しにはできません。」孟達(もうたつ)「関羽(かんう)は、劉備(りゅうび)に後継ぎは劉禅(りゅうぜん)にするようにいっていたぞ。」何かもはや全く関係の無い話まで持ち出して劉封(りゅうほう)を惑わす孟達(もうたつ)、実際彼らは別の命を劉備(りゅうび)から受けているので、教科書どおりに考えれば、劉備(りゅうび)の許可を得ずに勝手なことはできません。こうして、援軍を得られなかった関羽(かんう)は命を落としました。

関羽の死を聞いた劉備は激怒

子供 桃園

 

これを聞いた劉備(りゅうび)は、劉備(りゅうび)「もっと臨機応変に対応せんか!そもそも桃園の誓いを知らんのか!」と激昂します。桃園の誓いにより、劉備(りゅうび)、関羽(かんう)、張飛(ちょうひ)は死ぬ時は同じと誓ったはずでした。その関羽(かんう)を見殺しにするのは劉備(りゅうび)を見殺しにするも同然です。そのため、孟達(もうたつ)はここでまたしても分岐点を迎えます。孟達(もうたつ)「関羽(かんう)を見殺しにしては、蜀での出世は見込めん。それどころか、理由をつけて処罰されてしまうだろう。いっそのこと、魏に下ってしまおう。」と考え魏に投降しました。また、他の蜀の将もけしかけ、同時に裏切ることで追撃してきた劉封(りゅうほう)を撃退しています。劉備(りゅうび)は本当に孟達(もうたつ)を殺すつもりだったと思われますが、間一髪孟達(もうたつ)は逃げ延びたわけです。

 

曹丕 残忍

 

魏に下った孟達(もうたつ)は、魏の文帝・曹丕(そうひ)に拝謁しました。孟達(もうたつ)「ここで、今後の待遇も変わる。うまくやらなくては・・・」曹丕(そうひ)は臣下に孟達(もうたつ)の力量を判断させます。現代の面接のようなものですね。既に転職が確定しているのにおかしな話ですが。もとより弁舌が立ち、才気のあった孟達(もうたつ)を、臣下は『将帥の才』、『公卿の器』と評したため、かねてより孟達(もうたつ)のことを耳にしていた曹丕(そうひ)はこれに喜び孟達(もうたつ)を他の臣下が諌めるほど、高待遇で迎えました。

 

まさかの判断ミス!孟達(もうたつ)の分岐点 その3

孟達 曹丕

 

しかし、その後孟達(もうたつ)を待ち受けていたのは、曹丕(そうひ)の死と己に降りかかる冷遇でした。跡継ぎの曹叡(そうえい)は孟達(もうたつ)を重く用いることはありませんでした。さらに、これまでの厚遇及び裏切りの過去とその不忠から、周りからは白い目で見られ、孟達(もうたつ)は命を狙われてもおかしくない、と思うようになります。そこへ、さらに蜀が快進撃を続け、洛陽に届かんばかりの勢いで進軍していることを知りました。

 

孔明 出師

 

孔明(こうめい)は、孟達(もうたつ)の迷いを見通し、内部から反乱を起こせば、蜀への帰参を許すとの手紙を送りました。しかし、孟達(もうたつ)は決行を躊躇い、孔明(こうめい)はそれを急かす為に、反乱のために内通していることが蜀から降った将である申儀(しんぎ)から曹叡(そうえい)に露見するように仕向けました。

 

司馬懿

 

事が露見した頃、魏ではそれまで権力を剥奪されていた司馬懿(しばい)は復権しました。司馬懿(しばい)は、孟達(もうたつ)のことを聞くや否や司馬懿(しばい)「不忠の孟達(もうたつ)は、必ずや謀反を起こす。要害を押さえられる前にしとめるのじゃ。」と打倒孟達(もうたつ)を急ぎます。

 

孔明

 

孔明(こうめい)は司馬懿(しばい)の復権を聞き、孟達(もうたつ)を急がせますが、孟達(もうたつ)「司馬懿(しばい)は帝に奏上してから出なければ、こちらに進軍できまい。洛陽に出発してから我が城に侵攻するまでに一ヶ月はかかるはずだ。」

 

孟達 司馬懿

 

ところが、司馬懿(しばい)は帝へ奏上せず、一直線に城に向かい、挙兵からわずか八日で城へと到着してしまいました。電光石火の進軍で城を包囲された孟達(もうたつ)は、蜀や呉の救援も間に合わず敗北、殺害されました。

 

孟達の生涯と彼の分岐点

 

孟達(もうたつ)は裏切ってばかりですが、劉備(りゅうび)の元に降る時も同時に裏切ろうとした張松(ちょうしょう)は死罪とされていますし、魏に降った時には一緒に裏切るよう促したが反対した劉封(りゅうほう)も死罪とされており、この乱世においてかなり的確に裏切っております。また、曹丕(そうひ)に自身の力を示し魏での地位を盤石にしたことに関しては、見事という他ありません。惜しいのはそれによって目立ち過ぎたことです。また、数度に渡り主を裏切り、最後には自身が一度裏切った蜀に再び帰参しようとしていますが、それほど悪い人にも思えません。最初に仕えた劉璋(りゅうしょう)は、民からの評判も悪く、また孟達(もうたつ)以外にも法正(ほうせい)や張松(ちょうしょう)も仕えるべき「明君」を探していました。ある意味必要を迫られての行動だったかもしれません。

 

劉備(りゅうび)には蜀を去る前に手紙を残す等律儀な面もありました。逆に怒りを買っただけでしたが。不忠とはいえ、うまく立ち回っていた孟達(もうたつ)でしたが、最後は司馬懿(しばい)を侮り、判断が鈍ったことでその最後を迎えました。命運を分けた分岐点は、どこだったのでしょうか。答えはないかもしれませんが、孔明(こうめい)からの手紙は一つの分岐点ではありました。早い段階で要害を押さえていれば、内外から仕掛けて魏を滅ぼせた可能性もなくはありません。魏で多くの仲間を作れれば、魏でやっていけたかもしれません。

 

また、一説では本当はこの時呉に降ろうとしていたとも言われております。いずれにしてもいざという時、「分岐点」で的確に決断を下せないようでは生き残れないということです。

 

三国志ライターFMの独り言

FM

 

三国志というと、戦や内政とその中での人間模様に目が行きますので、はじめてみる人は「現代とは世界観がまるで違うなぁ」と感じるかもしれませんが、現代に置き換えてみると、学ぶべきところが見えてくると思います。まず、孟達(もうたつ)は、才気のある部将でしたが、なにより自身の危機を察知し、自身のおかれた状況下で的確な判断ができる将であるように思えます。現代でも、仕事で大損害を出し立場が危うくなった、リストラされた、等突如降りかかったどうしようもない分岐点で、大きな決断ができる人は優れた人と言えるでしょう。もう一点学ぶべきことは、不忠とその代償です。やはり彼は不忠の人というか魏では一部では危険人物扱いされていますし、親交の深かった人物が尽く死んでしまい、結果立場が危うくなる等、自身の不徳が招いた破滅だったのかもしれません。最後は城内の味方も裏切っておりますので、「不忠」は誰の得にもならないわけです。人と人の信頼って大事ですよね。

 

孟達(もうたつ)に限らず、また三国志に限らず、中国史では死罪に処せられるような絶望的な状況でも、己の技術や巧みな弁舌、自身の人脈で生き延びていく、という話がたくさんあります。死罪に処せられそうな時に

 

「嫌だ、死にたくない、助けてください。」なんて声に出しても、相手はそんなこと知っているわけです。そういう時は、命乞いしなければならない状況になる前にさっさと逃げて「相手に殺されないようにする」、あるいは、弁舌で「相手に自身を殺させないようにする」必要があります。中国史から学ぶ真に頭の良い人、とはいざという時に自身の命を守るための決断と行動ができる人を言うのではないかなぁと思います。

 

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三国志は、大昔の出来事ですが、物語をいろいろな視点や切り口で見ていくと、新しくて面白い発見があるのが好きです。 人物像や対人関係、出来事、時代背景、逸話等々、古い話とはいえ、学ぶべきところはたくさんあります。 埃をかぶせておくにはもったいない、賢人たちの誇りがあります。

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