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童子とは仏教用語で8歳から20歳未満の小僧さん
じゃあ童子は?というと、こちらは仏教で8歳以上、20歳未満の仏典を学びながらお仕事をする子供。もしくは、お偉い方の身の回りのお世話をする召使の男の子を童子、と呼んだようです。
もちろん役職以外で言うと、幼い子供のことを童子、と呼びますね。
で、問題なのはじゃあここの「童子郎」ってなんじゃ?ってことです。どちらかというと郎の方っぽいのですが、それにしてもしっくりこない。と、見ていると後漢書に記述がありました。
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童子郎は超難関の中学校のようだ…
さて後漢書では童子郎について詳しくは書いてはいないのですが
「12歳で通りを通って(?)、童子郎を拝んだ」
「父親の功績から童子郎を拝んだ」
「それは有名な学院であった」
という風な記述を見つけることができました。
このため童子郎とは何らかの役職ではなく、学問を学ぶ場、もしくは今で言う有名な大学……年を考えると受験を経て入学するような中学校のようなものであったのではないかと思われます。
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司馬朗は12歳どころか8歳だった可能性も
で、司馬朗は12歳かどうか疑われた、とあるので、童子のように年齢制限がある所で、もしかしたらこのために疑いを持たれたのかもしれません。
それで三国志の記述を見ると実はこの時の司馬朗の年齢は「12歳どころか8歳だった」可能性が出てきてしまい余計ややこしくなってしまうのですが……もうそこまで考えるとドツボにハマってしまうので、今回は置いておきましょう。
とは言え童子郎、まだまだ謎が残ります。よろしければ情報提供、もしくは考察、お待ちしております。(他力本願児)
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三国志ライター センのひとりごと
まあ三国志において童子郎というのは「司馬懿の兄の司馬朗が12歳で受かったら体格が良すぎて年齢詐称を疑われたけどはっきり言い返したよ」くらいのものなのですが。
もっともっと言ってしまうと、三国志の本筋には何ら関係のないことです。
ただこういう細かいことが筆者は気になって仕方ない、そして気になると面白くなってしまうのが悪い癖。という訳で筆者の分かる範囲の、童子郎について、でした。
どぼーん。
参考文献:三国志魏書司馬朗伝 後漢書左雄伝 ゾウ洪伝
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