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ちゃんと理由があるよ!(きっと)(たぶん)(maybe)
ここで考えられる理由ですが、恐らく「曹叡の後継者問題」があるのではないかと思われます。曹叡には皇后もいて、子供も幾人かいたのですが、ほぼ早逝しています。男子に関しては全滅です。そして当時の曹叡は30代半ば、言ってしまうと「今から子を作っても間に合う」年齢です。
このため大慌てで大量の妻候補(ただし美女に限る)を集め、何とか後継者を増やそうとしたのではないかと思うのです。つまりとんでもない政策に見えて、きちんと「外敵は排除したから今の内に子作りたくさんしておきます!」という皇帝的な意味のある政策だったのですね!
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曹叡による政策の結果はどうなった?
まあそんな曹叡は36歳で崩御するのですが(無慈悲)。要するに目的に対して結果は出ないまま、ただ訳の分からない政策に、美女を集めたという結果だけが残り、更には後継者問題もまるで解決しなかった……となってしまったのではないかと思います。
もしここで曹叡が亡くならずに後継者問題も解消して、更に魏王朝の時代が続いていたら。もしかしたらもしかしてだけど、後世では「無理やりだけどまあ子供残せて良かったね」という政策になっていた……かもしれない、と思った筆者でした。
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三国志ライター センのひとりごと
曹丕も曹丕で早逝ですが、その息子は更に輪をかけたように早逝してしまう曹家。年齢が判明していないのでやや判断が付きにくいですが、曹丕と一緒に育てられて、曹丕と没年が数年しか変わらない曹真も早逝の可能性がありますね。
彼らの内、一人、欲を言うと二人長生きすれば、その後は変わったかもしれません。そう考えると司馬一族の長寿は、次代を継ぐに相応しかったかもしれませんね。
どぼん。
参考:三国志魏書明帝記 晋書宣帝記 資治通鑑魏記
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