誕生してより600年以上、世界中の人々を魅了してきた三国志演義。日本でも、漫画の横山光輝三国志や、小説の吉川英治三国志が有名ですが、それらは原典の三国志演義にアレンジを加え日本版にリメイクした部分があります。
そこで、原典の三国志演義を読んでみると、なかなか面白い記述があるものです。
例えば、三国志演義では関羽の本体はヒゲだったってご存知ですか?
この記事の目次
衝撃の事実は、三国志演義28話にある
関羽と言えば、正史でも演義でも長いひげを生やしている事がトレードマークです。三国志演義では、これに赤兎馬と赤ら顔が加わり、これだけそろえば、関羽だと識別できない方が不思議なレベルです。
ところが、三国志演義二十八回、蔡陽を斬って兄弟疑いを釈き、古城に会して、主臣義に聚まるでは、関羽がヒゲ以外では識別されていない衝撃の事実が登場しています。
赤兎馬を、郭常のバカ息子に盗まれかける関羽
関羽が五関の守将を斬って後、追いかけてきた夏侯惇との一騎打ちを経て、正式に曹操から罪を赦免されて、旅を続けていると、突然に土砂降りに襲われ、劉備の夫人を避難させる為に、遠くにあった郭常という人物の屋敷で一夜の宿を請います。
この郭常は分別のある好人物なのですが、息子というのがろくでなしの不良息子で、学問も武芸も治めずに、山賊の真似事をし、夜中には関羽の赤兎馬を盗もうとして赤兎馬に蹴られ、関羽の従者に捕らえられる始末でした。
馬を盗まれかけた関羽は「盗人め!」と手打ちにしようとしますが、ここで郭常が進み出て老婆が可愛がっておりますから、どうかバカ息子の命ばかりはお助け下さいと頼むので、宿を借りている恩義もある手前、見逃しました。
山賊、裴元紹に関羽は
翌朝、目を覚ました関羽は郭常に
「御子息にひとつ説教をしてやりたいが」と申し出ますが、郭常は
「すでにせがれは、よからぬ連中とつるんでどこかに出ていきました」とわびます。
急いでいる事もあり、関羽はやむなく郭常に礼を述べて、劉備の2人の夫人を馬車に載せると旅を続けます。しかし、そこから30里もいかないうちに、山の陰から百名あまりの野盗がわらわらと出てきて関羽一行の道を塞ぎます。
ここからは、三国志演義の記述を引用しましょう。
(前略)まっさきの2人だけは馬に乗っていた。
前の1人は黄色い頭巾で頭を包み、身には鎧のひたたれを着こんでいる。
後ろの1人はすなわち郭常の子だった。
黄巾の1人の方が
「われこそは天公将軍張角の部将なり。はやく赤兎馬を置いていけ、命だけは助けてやる」
関羽は腹を抱えて笑い、
「モノを知らぬ盗人めが何を言う。
おまえは張角の手下であったと申すからには、劉玄徳・関羽・張飛、3人の兄弟の名前は聞き知っておるか?」
黄巾の男
「赤つらにヒゲの長いのが関羽だと聞いたが、顔を見た事がない。貴様は一体何者だ?」
そこで関羽は、長刀をこわきに馬を立て、ひげの袋を解いて、長いひげを出してみせた。
すると男は転がり落ちるように馬を下り、いきなり郭常の子の襟首をつかんでこれを馬前に引き据えた。関羽が姓名を問うと
「それがし姓は裴、名は元紹と申し、張角の相果てた後、つかうべき主君もなく、山賊となってしばらくここに隠れておりました。
(以下略)
ヒゲだけで関羽を識別していた裴元紹
お分かりいただけたでしょうか?
裴元紹は、赤ら顔に赤兎馬、青龍偃月刀を持っている関羽は関羽と識別できなかったのに、関羽がヒゲ袋からヒゲを取り出した途端に、すぐにこれは関羽と識別して馬から転げ落ちるようにして、土下座しています。
これはつまり、関羽は赤兎馬でも赤ら顔でも青龍偃月刀でもなく、そのヒゲ袋に包まれている美しいヒゲで周囲から識別されていた可能性があります。
しかし、いかにヒゲが美しいとしても、印籠じゃあるまいし、ヒゲ袋を解いた途端に土下座って…関羽の本体は、ぶっちゃけヒゲだと言っても間違いじゃないかも知れません。
ひげ袋は曹操からのプレゼント
もはや関羽の本体とも言えるヒゲ、しかし、このひげ袋を関羽に与えたのは誰でしょう?
調べてみると、関羽のひげ袋の逸話は、
三国志演義第二十五回 土山に屯して 関公三事を約し 白馬を救って 曹操重囲を解くにあり、関羽にひげ袋を与えたのはなんと曹操でした。
関羽は曹操の配下に入った時、ままならぬ運命に憤り酒を飲みつつひげをいじっていましたが、それを見ていた曹操が「そのヒゲは何本くらいあるの?」と尋ねました。
関羽は、「ひげは5~600本ありますが秋になると乾燥して傷んで抜けるので、普段は、紗の袋に入れてケアし人と会う時には外しております」と曹操に説明しています。
これを聞いた曹操は、関羽に特製のひげ袋をプレゼントしたのです。とまあ、こんな感じで関羽のひげは普段曹操がプレゼントした袋の中に仕舞われ、人と会う時だけに出される事になりました。
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三国志ライターkawausoの独り言
三国志演義においての関羽のあだ名「美髯公」は関羽が曹操の配下いる時につけられます。関羽はうっかりなのか、わざとなのか、献帝の前でヒゲ袋をつけたままで参内してしまい、献帝が「その袋は何か?」と興味本位で尋ねます。
すると関羽は、「曹丞相が、それがしのヒゲを気遣って下された。ひげ袋でござると」答え、その場でひげ袋からひげを取り出すと、そのヒゲが黒々として艶々なので献帝も絶賛!
以後、美髯公と呼ばれるようになったとあります。ここまで来ると、関羽の本体はヒゲと言っても差し支えはないのではないでしょうか?
皆さんはどう思いますか?Kawausoは思いませんけども
参考:三国志演義
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