麻雀に国士無双(世に二人といない士)の役として名前が残る韓信(かんしん)は実在の人物です。彼は無敵と言われた天才将軍でしたが、その性格は、軍事の才能に比例したものではありませんでした。
この記事の目次
若い頃から働かずプライドばかりは高い韓信
韓信の生年は紀元前230年頃と考えられています。秦の天下が殆ど定まり、統一まで9年という所ですから、韓信が少年の頃には、もう秦の天下になっていました。
家が貧しかった韓信ですが、志ばかりは高く独学で兵法や武術を学ぶなど向学心はあったようです。
ところが働いて、自分を養うという事になると韓信は怠け者でした。「こんな馬鹿らしい事がやれるか」と野良仕事を嫌います。もちろん、こんな事では喰えませんから任侠の徒のように、故郷の色々な人の世話になりながら生きていました。
居候韓信に飯を出さなくなった亭長の妻への韓信の一言
韓信は長い事、故郷で亭長(最下級の役人、警察官のような仕事)をしていた人の居候をしていましたが、来る日も来る日も働かずぶらぶらしている韓信に愛想が尽きた亭長の妻は、食事を出さなくなりました。韓信は激怒して、こう言いました。
韓信「人の世話をしておきながら、中途半端で投げ出すのか!」
モノは言い様だなとは思いますが、こうして韓信は亭長宅を飛び出し、後は喰うや喰わずの浮浪者同然の身分に落ちてしまいます。
飯を恵んでくれた老婆への韓信の一言
絶食状態で、何日もぶらぶらしていた韓信を見つけ、可哀想と思った老婆は、韓信に数十日に亘って食事を与えました。韓信は、この老婆に恩義を感じて言いました。
「婆さん、この恩義は決して忘れない、俺が出世したら、必ず百倍、千倍にして返してやるからな!」
すると老婆は呆れて韓信に言いました。
「自分で自分の腹も養えない人間が大きな口を叩くんじゃないよ!」
駄目人間、韓信、言われてしまいました。(笑)
恩義で言うなら数十日、韓信に飯を恵んだ老婆より、その以前の数年間、嫌々でも韓信の面倒を見ていた亭長夫妻の方がずっと立派です。韓信には、このように自分と相手の関係を客観視出来ない欠点があったようです。
韓信の股くぐり
韓信は、背が高く立派な体格をしていました。また、浮浪者同然の身分なのに、場違いな長い剣を肩から提げていてそれも、また生意気だと思われるのに一役買っていました。
ある時、町の不良で乱暴者と評判の少年が韓信に因縁をつけました。
「お前、立派な剣を持っているが、どうせ碌に使えもしないだろう?
もし、お前に度胸というものがあるなら、その剣で俺を斬ってみな?
出来ないなら俺の股をくぐれ」
韓信はトラブルを避けようと、とぼけていましたが、周囲には人だかりが出来て逃げられそうにもありません。
すると韓信は、地面に這いつくばり、少年の股をするすると潜りました。少年も、周囲の人もこれには大笑いして、韓信を臆病者と罵ります。こうして、韓信には「股くぐりの韓信」という有り難くないあだ名が付きます。
韓信は、少年を恐れた訳ではなかった
こうして、より馬鹿にされるようになった韓信ですが、本人は、少しもその事を気にしていませんでした。
「あんなガキを斬って何になる、罪人として捕まり、死ぬまで強制労働をさせられるだけだ、俺はこんな所で死ぬわけにはいかんよ」
結局、この時の自重が韓信に大きな幸運を呼びました。韓信が21歳になる頃、始皇帝が死去し、ほどなく陳勝(ちんしょう)と呉広(ごこう)が反乱を起して、天下は乱れてきたのです。
項梁、項羽に仕えるが長続きしない
韓信は、項梁(こうりょう)が起した反秦連合軍に加わり、項梁によって、郎中という仕事に就けられます。しかし、これは、ボディーガードのようなもので、体格と剣の腕がある韓信の、みてくれだけで決めた仕事でした。
韓信は、それでも不満を抑え何度も項羽(こうう)や項梁に献策をします。今風に言えば、プレゼンですが、韓信を大して評価していない項羽や項梁は、少しも取り上げませんでした。
「いいよ!もう、お前の家来なんか、こっちから願い下げだ!」
韓信は、愛想を尽かし、項羽の家来を辞めてしまいます。折角、仕事にありついた韓信ですが理想が高い彼は、「ボディーガードなんて、ちっちゃい仕事」と満足せず、また無職になったのです。
流れて、劉邦(りゅうほう)の元に来た韓信、しかし・・
無職になった韓信は、人材を優遇すると評判の劉邦(りゅうほう)の世話になろうと、劉邦軍の門を叩きます。しかし、これと言ってツテもない韓信に与えられた仕事は、宴会の接待係というボーイのような仕事でした。しかも、ある宴会で失敗があり韓信は13名の仲間と連帯責任を問われて斬罪の刑を受ける事になります。
あわや処刑を前に韓信の命懸けの叫びが
「俺のような天才を殺すとは漢中王は天下を獲りたくないのか!」
間もなく処刑という時、韓信は大声で怒鳴りました。たまたま、それを聞いていた劉邦側近の夏候嬰(かこうえい)は、「面白いヤツだ」と思い処刑をSTOPして韓信を助命しました。
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韓信、兵站係に任命され、䔥何(しょうか)に出会うが・・
夏候嬰は、韓信の話を劉邦にすると、「面白いホラ吹きだな、よし使ってやろう」として韓信は、兵站を管轄する仕事に就きます。ところが、この兵站の仕事も地味で面白くありません。韓信は、兵站を管轄する䔥何と何度もあい自分を売り込みます。
䔥何は、これまでの上司と違い、韓信の才能を見抜いていました。
「よし、君の事は僕に任せたまえ、必ず大将軍に推挙する」
真面目な䔥何は、それこそ、何度も劉邦に韓信を大将軍にするようにと推挙する手紙を書きますが、劉邦にはその気がありませんでした。
「韓信?あのホラ吹きを大将軍だと?冗談だろう」そう言って、木簡を捨ててしまう有様です。
「駄目だ! ここの連中もろくでなしだ! 誰も俺を分かろうとしない」韓信は、いよいよ、劉邦軍が嫌になり軍から脱走してしまいます。
韓信に続いて䔥何も逃げる(笑)
当時は、劉邦が項羽によって地形の険しい漢中に押し込められている時期で韓信同様に、逃げてしまう兵や将軍が続出しました。韓信が逃げたという知らせを聞いた䔥何は、劉邦に報告もせず、勝手に陣を離れて追いかけます。
それを脱走と早合点した人がいて、劉邦に伝えると、「俺の右腕の䔥何まで俺を見捨てるのか?」と泣き顔になります。ようやく韓信に追いついた䔥何は、ひざまずいて韓信に軍に戻るように言います。
韓信:「嫌だね!俺の価値も分からん連中の所に、もう一秒たりともいたくない」
䔥何:「そう言わないで私を信じてくれ!今度こそ、主君を説得して見せる。もし、駄目なら、私も君と共に逃げよう!」
韓信はそうまで言われたので考えを変え、䔥何と共に劉邦軍に戻ります。
韓信大将軍になる
劉邦は䔥何が戻ってきた事に安堵しますが、その理由が韓信を連れ戻す為だったと知り、疑問を持ちます。
「あんなホラ吹き1人逃げた位で、どうして追い掛けた今まで沢山の将軍が逃げても追わなかっただろ?」
「他の将軍なら、幾らでも代わりがおります、、しかし、韓信はこの世に1人の天才将軍、今、逃がしたら二度と得る事は叶いません」
こうして韓信は䔥何の尽力で大将軍になり、劉邦に天下を獲らせる大きな力になるのです。
三国志ライターkawausoの独り言
しかし、この韓信、自己PRが下手で我が強く、飽きっぽいので、何度もプレゼンする割には採用されないなど、人間的な欠陥がとても多い人物ですね。恐らく、望みの仕事ではない場合には仕事も手を抜いていたであろうという事が想像されます。そうなら、より出世の望みは無かったでしょうね。
䔥何と出会わなかったらどうなっていた事か・・
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