三国志のアクションゲームのおかげですっかり有名になった徐晃。正史三国志の徐晃は幾つもの戦で大手柄を上げ、魏の武将の中でも優れた将軍として史実に名を刻みます。
そして徐晃の君主であり、三国志の天才であり、名君の誉れ高いことで知られる曹操。徐晃は曹操に仕えますが、配下になった当初から色々な戦に引っ張りだこでブラック企業並に働かされていたようなのです。もしこれが本当であれば、名君で天才な曹操に仕えた徐晃にとって曹操は最悪な君主だったのではないのでしょうか。
初代君主から曹操へ仕える
徐晃は初めから曹操に仕えていたわけではありません。徐晃が一番最初に仕えた君主は楊奉という人物です。徐晃は郭汜と李傕が長安で仲たがいを初め、戦を仕掛け始め長安の町が大混乱した時、徐晃は楊奉へ「献帝を連れて長安を脱出し、洛陽へ連れて行くのがいいと思います。」と進言。楊奉は徐晃の進言を採用し長安から献帝を連れて洛陽へ向かうことに。
しかし洛陽に到着すると今度は献帝の側近と献帝を守ってきた実力者が争うことになってしまいます。徐晃はこの状況を見かねて再び楊奉へ「曹操殿が力をつけてきており、ここで帝の側近達の争いに巻き込まれて力を落すよりは、今の内に曹操殿へ従ったほうがいいのではないのでしょうか。」とアドバイス。
楊奉は徐晃の意見を聞いて曹操に従う意思を固めていましたが、途中で気が変わって曹操へ従うことをしませんでした。そのため曹操軍の攻撃を受けて楊奉は敗北してしまいそのまま行方不明になり、徐晃は曹操へ降伏して仕えることになります。だが徐晃は曹操に仕えた事により、ブラック企業並に働かさせられることになるのでした。
戦。また戦。またまた戦の連続!!
徐晃は曹操に仕えるとさっそく賊徒討伐へ向かい、軽々と賊徒討伐をこなしてきます。曹操は徐晃の用兵の巧さを確信したのか呂布討伐戦に参加させ、再び働かせることになります。徐晃は曹操の期待に応え、呂布軍の将軍二人を討ち取る戦果を挙げることになります。
その後徐晃は曹操の元に帰服していた劉備が徐州で反乱を起こすと劉備討伐戦に参加することになり、劉備軍を打ち破る活躍を残します。さらに徐晃は官渡の戦いの前兆戦となる白馬の戦いで、白馬の渡を攻略するのでした。こうして徐晃は曹操に仕えた事で上記の戦いのほかにも戦にずっと参加することになり、昨今社会問題にもなっているブラック企業で働いている社員並に休みなく働くことになるのでした。
徐晃にとって曹操はいい君主だったのか!?
徐晃は曹操に仕える事になった事で休みもほとんどなく、何度も戦に駆り出されることになります。普通に考えれば休みのなく働かせられて最悪の君主といえると思いますが、徐晃にとって曹操はいい君主だったのでしょうか。正史三国志魏書徐晃伝で、徐晃は曹操の事をこのような言葉で残してします。徐晃は「昔の人達は名君に出会えないとため息をつきながら苦しんでいたそうだ。しかし今私は名君と呼ばれる人物と出会った。だからこそ休みがないなどと言わず、功績をあげて全力で尽くすしかない。」と言っています。この言葉から見るに徐晃にとって曹操はいい君主だったといえるのではないのでしょうか。
三国志ライター黒田レンの独り言
徐晃にとって曹操という名君に仕えた事が喜びであり、休みがなくても文句を言わない所を見ると曹操という人物が魅力あふれる人物だったことが伺えるのではないのでしょうか。
また他の古参武将達(張遼や曹仁)も徐晃と同じ意見を持っていたように思えます。なぜなら彼らも曹操の文句をひとつも言わずにもくもくと働いている様子が伺えるからです。これらを考えると曹操という人物を部下の側から見るととてつもなく魅力あふれる人物だったといえるのではないのでしょうか。
【参考】 正史三国志魏書など
▼こちらもどうぞ