孫呉の武将の中でも1,2を争うほど知名度を持つ陸遜。周泰と陸遜は同じ孫呉の武将ですが、一緒に戦ったことがあるのでしょうか。今回は周泰と陸遜が一緒に戦ったことがあるのか調べてみたいと思います。
この記事の目次
周泰と陸遜の戦歴を調べてみると…。
周泰と陸遜が一緒に戦ったことがあるのかどうかを紹介するため、二人の戦歴を調べてみることにしました。周泰と陸遜の戦歴を調べてみると、ほとんど同じ戦場で戦ったことがありませんでした。
しかし正史三国志・周泰伝と陸遜伝をこまめに調べていくと、二人が一緒の戦場で戦っている場面を発見。二人が一緒に戦っている場面とは荊州攻略戦です。
荊州攻略戦で周泰と陸遜が登場
周泰と陸遜の二人が一緒の戦場に登場するのは、蜀の関羽が守っていた荊州を攻略する戦が初登場です。
周泰は荊州攻略戦で侯の位と将軍職を授与されている事から、荊州を攻略する戦で周泰が大きな活躍をしたことが伺えます。
そして陸遜も荊州を攻略する戦で活躍が認められ、周泰と同じく侯の位と将軍の位をもらっています。しかし周泰と陸遜が同じ戦場に名前が登場するのは、この戦が最後です。
でもどうして周泰と陸遜は荊州を攻略する戦以前の戦いで一緒に戦わなかったのでしょうか。また周泰と陸遜は荊州攻略戦以降、一緒に戦うことがなかったのはなぜなのでしょう。まずは荊州攻略戦以前に二人が戦うことが出来なかった理由を紹介したいと思います。
荊州攻略戦以前に周泰と陸遜が戦場に登場しない理由とは??
周泰と陸遜はどうして荊州攻略戦以前に二人が戦場で一緒に戦わなかったのでしょうか。それは周泰と陸遜が担当していた戦場が違っているからです。
周泰は赤壁の戦いで活躍した後、濡須へやってくる曹操軍を撃退するため、濡須の督として赴任していました。陸遜は周泰が濡須の督として曹操軍撃退の任務を頑張っている頃、孫呉の領土内で反乱を起こしていた山越族の討伐戦を行っています。このことから二人が担当していた戦場が違っていたため、一緒に戦うことがありませんでした。では荊州攻略戦以降、周泰と陸遜が一緒の戦場で戦うことがなかったのはどうしてなのでしょうか。
荊州攻略戦以降、周泰と陸遜が戦場に登場しない理由とは??
周泰と陸遜は荊州攻略戦以降、一緒の戦場で戦うことはありませんでしたが、どうしてなのでしょうか。それは周泰が亡くなってしまったからです。
周泰は荊州攻略戦以降、正史三国志・周泰伝に彼が戦場で活躍した記載がありません。周泰が荊州攻略戦から戦場で活躍しなかった理由は、彼が3年以内に亡くなっていたからです。そのため周泰と陸遜は荊州攻略戦以降、同じ戦場で戦うことがなかったのです。
三国志ライター黒田レンの独り言
周泰の死亡時期については詳細な事が分かりません。
正史三国志・周泰伝も222~229年の間に周泰が亡くなったと大まかな部分しか記載されていません。そのため229年に周泰が亡くなっていた場合、222年に起きた夷陵の戦いに陸遜と一緒に参加していたかもしれませんが、どうでしょうか。周泰は荊州攻略戦以降、陸遜と一緒に戦っていませんが、周泰の息子は陸遜と一緒に戦いに参加しています。周泰の息子は周邵と言い、父親に似て武勇に優れていました。
周邵は文帝・曹丕が濡須へ大軍を率いて攻撃してきた時、曹仁の軍勢と戦い功績を残していたそうです。
また石亭の戦いでは周邵も一生懸命戦い、曹休軍を打ち破った戦功を立てます。この結果、周邵も父親と同じように将軍の位を孫権から授与されることになります。周泰・周邵は親子揃って陸遜と一緒に戦い、活躍していたのです。
■参考 正史三国志呉書など
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