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演義での二人の初陣
三国志演義では八健将のメンバーは呂布(りょふ)と曹操(そうそう)の戦いである「濮陽の戦い」で初めて登場します。曹操(そうそう)が父親の仇を討つ為に徐州に攻め入ろうとしますが、空になった本国を呂布(りょふ)に攻められます。曹操(そうそう)は呂布(りょふ)に応戦するため引き返し、濮陽の戦いが始まります。
郝萌(かくぼう)と曹性(そうせい)らは、呂布(りょふ)の参謀である陳宮(ちんきゅう)の計で一時は曹操(そうそう)を追い詰めることができました。しかし、幾度となく続く戦いで呂布(りょふ)軍は濮陽の豪族である田氏(でんし)から裏切られ、城から追い出されてしまいました。
演義:呂布、曹操&劉備と敵対
敗北した呂布(りょふ)は当時目立った接点もない小沛城の劉備(りゅうび)の元に落ち延びます。ここで、裏切りのプロ(?)の呂布(りょふ)が劉備(りゅうび)を出し抜き、徐州を手に入れます。
呂布(りょふ)はその後、曹操(そうそう)と劉備(りゅうび)らとの戦いを開始しました。劉備(りゅうび)らに攻撃する呂布(りょふ)軍を討とうと曹操(そうそう)も軍勢を差し向けます。曹操(そうそう)軍からは、夏侯惇(かこうとん)、夏侯淵(かこうえん)、呂虔(りょけん)、李典(りてん)らを向かわせ、対する呂布(りょふ)軍から高順(こうじゅん)、侯成(こうせい)、郝萌(かくぼう)、曹性(そうせい)らが迎えうちました。
演義:曹性の最後
乱戦の最中、高順(こうじゅん)は夏侯惇(かこうとん)と四、五十合打ち合いましたが、押し負けて逃げだしました。追いすがる夏侯惇(かこうとん)に対して、曹性(そうせい)は矢でその左目を射当てます。
しかし、夏侯惇(かこうとん)は矢を引き抜くと、その目を喰らい、曹性(そうせい)目掛けて馬を飛ばすと彼の顔面に槍を突きたてました。乱戦の中で、曹性(そうせい)は壮絶な最期を遂げました。大将が負傷した曹操(そうそう)軍は敗走しました。とはいえ、将たる力に勝る夏侯惇(かこうとん)に対して、曹性(そうせい)は文字通り”一矢”報いたという感じでしょうか。
演義:使者の護衛を担う郝萌
その後、部下の裏切りにあった呂布(りょふ)軍は城を次々に失い、最後に残った下邳の城に逃げたものの、城も囲まれピンチに陥ります。そこで、再び袁術(えんじゅつ)への娘の縁組と救援の使者を送ることにしました。その際、八健将の郝萌(かくぼう)が使者の護衛役を務めました。
演義:郝萌の最後
帰り道の道中、劉備(りゅうび)らの陣屋の付近を通った際に、張飛(ちょうひ)に見つかってしまいました。使者は先に逃げることができましたが、道を遮られた郝萌(かくぼう)は張飛(ちょうひ)に立ち向かいますが、一合の元に生け捕られてしまいました。
その後、郝萌(かくぼう)は問い質され縁組の件を話してしまいます。怒った曹操(そうそう)によってその首を本陣の入り口で刎ねられてしまいました。郝萌(かくぼう)の捕獲から袁術(えんじゅつ)との繋がりが露見し、より一層囲みが強くなり、その後囲みの中で呂布(りょふ)軍は敗北しました。
三国志ライターFMの独り言
演義は物語という側面が強いためか、曹性(そうせい)は夏侯惇(かこうとん)により凄惨な最期を遂げ、郝萌(かくぼう)は張飛(ちょうひ)に一合で捕獲される等、脇役のような立ち位置となっています。一方の正史の郝萌(かくぼう)と曹性(そうせい)の生き方を見ると、裏切りに裏切りが重なり乱世という様子が見えますね。物語等では脇役ですが、正史では『各々が主人公』、といいますか、それぞれの"生き様"を感じますね。
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