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侯成(こうせい)とはどんな人?禁酒中でイライラしている呂布に斬首の命を受けた八健将




 

三国志界の無双の豪傑である呂布(りょふ)には、

その配下に八健将という八人の将がいました。

八健将の構成員は、張遼(ちょうりょう)臧覇(ぞうは)、

郝萌(かくぼう)曹性(そうせい)、成廉(せいれん)魏続(ぎぞく)

宋憲(そうけん)、侯成(こうせい)です。

これらの八人の武将は序列が一位から八位まで決められています。

 

 

最下位が侯成(こうせい)という武将です。

八人の中で最下位というと比較的ダメな将なのか、と考えてしまいます。

侯成(こうせい)とは実際にはどんな将だったのでしょうか。

今回は八健将の序列最下位侯成(こうせい)について正史と演義の両方から紹介し、

なぜ彼が序列最下位なのかを考察致します。

 

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正史:侯成の生きた時代

 

侯成(こうせい)は、正史に記録はありますが、

字が不明であり、出身地や生没年も分かっていません。

彼に関する記録は、劉備(りゅうび)が小沛にいる時から始まります。

そこにたどり着くまでの経緯としては、主である呂布(りょふ)が董卓(とうたく)を討った後、

曹操(そうそう)と一悶着(濮陽の戦い)があり、

その後流軍して彷徨っているところで当時徐州にいた

劉備(りゅうび)に迎えられたという経緯となります。




正史:盗られた馬を奪い返す

 

ある時、侯成(こうせい)は、自身の食客に馬十五頭を飼育するように命じました。

ところがその食客が侯成(こうせい)の馬を全て奪い、

小沛の劉備(りゅうび)の元へ逃げ出しました。

手土産を持って、劉備(りゅうび)の陣営に入れてもらおうという目論見です。

侯成(こうせい)は騎兵を率いて食客を追撃し、馬を奪い返しました。

そのことを聞いた同僚の将達から賞賛と祝賀を受けました。

 

まだ漢王朝で消耗してるの?

 

正史:お酒を猪料理で返礼

 

侯成(こうせい)はその返礼として、

五・六斛の酒をかもし、十頭余りの猪を狩り、猪料理を作りました。

さらに、返礼する前に、五等分の猪肉と五斗の酒を携えて、

主君である呂布(りょふ)の御前に参上しました。

侯成(こうせい)「今回、将軍のおかげで奪われた馬を取り返すことができました。

諸将が祝いに来てくれましたので酒をかもし、猪を狩りました。まずは感謝の気持ちを申しあげます。」

と述べましたが、これに対して呂布は激怒します。

呂布(りょふ)「オレは今禁酒令を出している最中のはずなのに酒をかもしただと!

諸将と飲み食いして兄弟の契りをむすんだ上で、オレを殺そうというのか!?」

この怒号に侯成(こうせい)はビビって退出しました。

かもした酒や用意した料理は全て捨て、諸将から受け取った贈り物も返還しました。

それ以来、疑心暗鬼にとらわれるようになりました。

 

正史:呂布の最後

 

呂布(りょふ)と曹操(そうそう)は長きに渡って戦い、

遂に呂布(りょふ)は下邳城に追い詰められました。

三ヶ月程で、下邳城内の兵の心は皆ばらばらになっていました。

侯成(こうせい)は、共に呂布(りょふ)に仕えていた宋憲(そうけん)・魏続(ぎぞく)らと共謀し、

呂布(りょふ)軍の参謀の陳宮(ちんきゅう)と忠臣である将の高順を捕縛し、

彼らを手土産に配下の兵士とともに曹操(そうそう)に投降しました。

そして、呂布(りょふ)をはじめ陳宮(ちんきゅう)高順(こうじゅん)らは処刑されました。

 

演義:濮陽の戦いでの侯成の活躍・・・

 

三国志演義で初めて侯成(こうせい)が登場したのが、

呂布(りょふ)と曹操(そうそう)の戦いである濮陽の戦いです。

この戦いで八健将はそれなりに活躍しますが、

曹操(そうそう)の配下の豪傑、悪来 典韋(あくらい てんい)に阻まれます。

ある時、曹操(そうそう)は濮陽城内に豪族・田氏(でんし)と内通して城を取ろうと画策しました。

呂布(りょふ)軍の参謀、陳宮(ちんきゅう)は、

それを逆手にとって曹操(そうそう)を城内に誘い込みます。

この時、八健将達が曹操(そうそう)を襲いますが、

曹操(そうそう)の配下の将らによって攻めきれませんでした。

侯成(こうせい)もこの時、典韋(てんい)によって阻まれています。

八健将であることから、実力者であると考えられる侯成(こうせい)も

典韋(てんい)には敵わないようです。

 

演義:侯成の居ぬ間に敗北

 

その後、休戦を経て開戦し、曹操(そうそう)軍と呂布(りょふ)軍の戦いが続きます。

しかし、呂布(りょふ)軍は配下の諸将を欠いた不利な戦いであり敗北してしまいます。

さらに、濮陽城の田氏(でんし)が裏切り、城から追い出されてしまいました。

臧覇(ぞうは)と張遼(ちょうりょう)、侯成(こうせい)は、

遠くの海岸地方まで兵糧調達に出ていて不在でした。

八健将が遠方へ出てしまうと、呂布(りょふ)も戦いにくいのでしょうか。

 

演義:追い詰められる呂布

 

呂布(りょふ)はその後も曹操(そうそう)と戦い続けましたが、

部下の裏切りによって敗走し、正史同様に下邳城に逃げ込みました。

曹操(そうそう)、劉備(りゅうび)らは、呂布(りょふ)が逃げ込んだ城を囲みます。

そのまま、籠城を決め込んだ呂布(りょふ)でしたが、事態は好転する兆しは無く、

袁術(えんじゅつ)に助力を頼もうとしましたが、

これまでの行いの為か助けに来るようすはありませんでした。

そうした状況に呂布(りょふ)は苛立ちを感じます。

 

演義:侯成、呂布の怒りを買う

 

ある日呂布(りょふ)は断酒を決意し、禁酒令を出しました。

その頃、侯成(こうせい)は馬の世話をしていたが、厩の小者に盗まれた馬を取り戻すことができ、

祝賀の酒を呂布(りょふ)に献上したところが、呂布(りょふ)の怒りを買い斬首の命を受けました。

この時、宋憲(そうけん)、魏続(ぎぞく)が許しを請い、棒叩き50回で済みました。

妻子のことばかり考えている呂布(りょふ)を恨み、

侯成(こうせい)、宋憲(そうけん)、魏続(ぎぞく)らは裏切りを決意しました。

 

演義:裏切り決行!

 

曹操(そうそう)は彼らの合図で城内に攻め込み呂布(りょふ)は応戦したが、

夜明けから昼間まで戦って曹操(そうそう)軍が退き眠った隙に宋憲(そうけん)、

魏続(ぎぞく)に縛られてしまいました。

曹操(そうそう)に捕えられた呂布(りょふ)と部下は斬首されました。

侯成(こうせい)は魏続(ぎぞく)と宋憲(そうけん)とともに曹操(そうそう)の軍門に入ります。

その後、演義では侯成(こうせい)に関する記述は現われません。

 

結局なぜ序列最下位?

 

侯成(こうせい)は、八健将の中でなぜ序列が最下位なのでしょうか。

私FMは以下のように考えています。

呂布(りょふ)は、こう言っては失礼ですが、

三国志界では裏切りの代表格の一人であると考えられます。

他者を裏切っていた呂布(りょふ)は、部下からの裏切りにあい下邳の城に追い詰められ、

その最後に侯成(こうせい)から裏切られ破滅しました。

こうした正史での結末を知った上で、三国志演義を著した羅貫中(らかんちゅう)は、

八健将というものをつくり、その配下の一人として侯成(こうせい)を加えました。

物語としての三国志演義を映えさせるには、

張遼(ちょうりょう)のような後に曹操(そうそう)の元で

活躍するものは序列を一位にしなければなりません。

逆に侯成(こうせい)のような後の記述が少ないものは序列を下げると考えられます。

そして、特に侯成(こうせい)は呂布(りょふ)にトドメを指す、

というポジションなのでそんな人物は高い序列にいるよりも

低い序列が良いと判断したのではないかと思います。

 

三国志ライターFMの独り言

 

侯成(こうせい)は、返礼の際にも、

主に話を通しまた酒料理を献上する等、きちんとした将であったようです。

呂布(りょふ)は、他の配下の扱いもひどく、

忠臣である高順(こうじゅん)も何故かよく思っていなかった様子です。

こうした点、侯成(こうせい)が裏切ったのは呂布(りょふ)の責任ではないかと思います。

ちなみに演義と正史では、ほとんど同じエピソードとなっていますが、

演義の侯成(こうせい)は怒られた上に、

棒で50回も叩かれていて、なおさら悲惨になっています。

 

参考文献

魏書呂布伝

後漢書呂布伝

武帝紀

 

 

はじめての三国志:全記事一覧はこちら

関連記事:呂布の配下、八健将(はちけんしょう)とはどんな人たち?

関連記事:呂布をリトマス試験紙にして群雄の性格を鑑定してみた

 

-古代中国の暮らしぶりがよくわかる-

 

 

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三国志は、大昔の出来事ですが、物語をいろいろな視点や切り口で見ていくと、新しくて面白い発見があるのが好きです。

人物像や対人関係、出来事、時代背景、逸話等々、古い話とはいえ、学ぶべきところはたくさんあります。

埃をかぶせておくにはもったいない、賢人たちの誇りがあります。

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